昨日あまり眠れていなかったせいか、目が覚めても頭が重く、しばらく起きることができなかった。ようやく動き出せたのは昼前になってからだ。本当ならどこかにでかけて院試の勉強をするつもりだったが、何をする気力も起きずに僕は横になっていた。頭が麻痺している。靄のかかった頭、このままではいけないと思いながらも僕はその靄に抗うことができずにいた。どう動き出せばいいのか、僕にはわからなくなってしまった。とにかくやるべきことを淡々とこなすべきなのだ、それは頭でははっきりと理解しているが、体が中々追いついてこない。僕は何をしているのだろう? 頭が重たい。何もできない。僕はこのまま地の底へと沈んでいくことしかできないのだろうか。
二十世紀、芸術は破壊の時代だった。シュルレアリスム、アンチ・ロマン、前衛演劇、現代音楽、かつての形式を破壊し、形式からはみ出ることによって新たな表現を探求していたあの時代を経た現在において、僕らに何ができるだろう。僕は破壊的な芸術を愛する。何にも囚われずに自分自身の生命のリズム、心臓の鼓動によって生み出される芸術を愛する。しかし、破壊は終わった。あらゆるものが破壊された。僕の手には何も残っていない。〈恐らく僕らにはもう「未開」は残されていない……〉(「偏愛蔵書室」)と諏訪哲史は語る。僕もそんな感覚から逃れることができない。自分自身においても芸術の時代的問題においても、一体、僕に何ができるのだろうという考えが湧いてくる。それでも僕は書くしかない。書くことしかできない。たとえ「未開」がないにしても、そんなことはどうでもいい。僕は戦うしかない。文学の時代的倦怠とも言うべきこの停滞、僕はそれに抗う。ひとつの極限に向けて、神経を研ぎ澄ます……。耳鳴りよ、響け。僕の神経を削り、言葉を削り、言語を、思想を、研ぎ澄ませろ。
破壊的な言葉。殴るような言葉。殺気のこもった言葉。エレキギターの歪みのような言葉。魔術的な言葉。爆発的な言葉。鋭利な言葉。狂気的な言葉。異形な言葉。それでいて、透明で、きれいな言葉…………。僕がずっと、探している言葉。