二月二十三日 貝殻のなか

文学少女
·
公開:2026/2/23

 「カイエ」の記録。

『どうして私は粉々に砕けないのか! 自殺がもはや誘惑ではなく義務となるであろう日』

『どうして沈黙というものはみな畏敬すべきものなのか。例外的な場合を除いて、言葉は瀆聖であるからだ。人間が動物にまさる唯一のもの、それは言葉だが、しかし人間がしばしば動物以下のものになるのも、言葉があるからだ。言葉──人間の上昇と失墜の道具』

 沈黙の畏敬、僕はウィトゲンシュタインの〈語りえぬものについては、沈黙せねばならない〉(「論理哲学論考」)を思い浮かべる。あるいは「8 1/2」の『沈黙への忠誠』を。そして言葉による上昇と失墜、これはまさしくペーター・ハントケの「カスパー」ではないだろうか。あの言語拷問劇は、言語によって人間が動物より上昇し失墜するさまを描いている。カスパー・ハウザー……僕はあの謎の人物がどんな世界を見ていたのか、興味が尽きない。

 春のようなあたたかさ、というよりは、初夏のような暑さ。

 「空間の詩学」第五章「貝殻」より。〈貝殻のなかにすむにはひとりでなければならないことをわれわれは熟知している。われわれはこのイメージをいきることによって、孤独に同意することをしっている。ただひとりですまうこと、これは偉大な夢だ!〉(p.222)。

 僕は、貝殻のなかにいるのかもしれない。傷つくこと、疲弊することを恐れる僕の精神は、世界を怯えた目で伺いながら、貝殻のなかに戻っていく。人がすぐそこにいる空間でも、僕は貝殻のなかにいる。僕は子供のころからずっとこの殻のなかにいるのだ。僕は、かたつむりだ。

 「時空の哲学と現代宇宙論」の主張。

・時空が実在するというのは、時空構造が実在するという意味。

・時空は計量が定義できる限り存在する。(宇宙の始まりにおいて消えたり縮んだりしない)

 買った本。野谷文昭「越境するラテン・アメリカ」