崩壊と美についての試論

文学少女
·
公開:2025/12/14

 崩壊は、美しい。コンクリートが砕かれ、鉄骨を剝き出しにする建物。散っていく桜、枯葉。いくつもの破片となって散らばっていくガラスの器。星の重力崩壊。超新星爆発。生物の死。この世界、宇宙を、支配する、熱力学第二法則、つまり、崩壊の法則……。そこには、息をのむような、美しさが、ある。

 しゃぼん玉が、透明な青空を、ふわり、ふわり、と泳ぎ、たゆたい、舞う。透明な球体が、表面に周りの風景を吸い込み、湾曲させて映し出し、太陽の光を分解した虹色を浮かべる。そのしゃぼん玉の美しさを、ぼくは、そのままの形で僕の心に入れることができなかった(それは、何も信じない僕にとって、すべての事象についてもいえることかもしれない)。しゃぼん玉は ぱん と弾けた。その瞬間、歪だったあの美しさが、偽りのように思えたあの美しさが、僕の心と斥力をはたらかせていたあの美しさが すっ と僕の心に溶け込み、染み込んだのだった。その瞬間、美と惨劇の均衡が成立する。美しさの背後に潜むもの、それは崩壊だ。

 全ての美は崩壊する。そしてその美は崩壊するがゆえに美となる。

 桜の美しさを信じられなかった梶井基次郎が桜の樹の下に死体を見たように、僕は崩壊を見る。桜が美しいのは、いずれぱらぱらと散っていくからだ。これが僕の美と惨劇の均衡となる。美と惨劇は表裏一体なのだ。双方向に作用している。中島らもの言葉の美しさ、川端康成の『古都』の美しさの裏には、睡眠薬がある。宮沢賢治の透明な美しさの裏には、狂気がある。そして、しゃぼん玉の美しさの裏には、崩壊がある。

 重力崩壊の終末があるから、星は美しい。直後に死が待ち受けているから、蜻蛉の結婚は美しい。粉々になって夜空に溶けていくから、花火は美しい。空に昇って溶けて消えてしまうから、たばこの煙は美しい。