四月二十一日 変わらない記号、変わる内容

文学少女
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公開:2026/4/21

 灰色の僕の部屋でからっぽの観念を弄んでいた。灰色の部屋に僕の体溶けていくような、僕も灰色で部屋も灰色といった感覚、空虚でからっぽでなにもないという感覚。僕にできること、この空虚感を殺すこと。からっぽに襲われながらも抵抗すること。狂おしい虚しさは僕を埋め尽くそうとするが僕はなんとかこらえ言葉を紡ぎ必死に抵抗する。からっぽにならないように僕は言葉を埋めていくが言葉をこの日記に解き放つことでさらにからっぽになっていくような気もする。僕はどうしたらいいんだ? 空虚な苦悩なぐるぐると僕の頭のなかで回転し輪を描いているが、この輪をそうやって切断すればいいのか? 今の僕、からっぽの僕、牢獄の僕のこと、それを端的に言い表しているのは、僕が過去に書いた小説の登場人物だった。その人物はこう言うのだ。

「私はさ、いや、私たちはさ、なんだか、よくわからない壁に閉じ込められているのよ。その壁はさ、私にはどうにもできないの。ただ、その壁は間違いで、その壁は壊すべきだと分かっていて、けれど、壊せないの。私があまりにも無力だから、私にはどうにもできないの。ずっと鳥かごにいるみたい。どう頑張っても、ダメなの。自分が、情けないの。ずっと、間違ってるってわかるだけで、でも、間違わないと生きていけなくて、それがわかってるんだけど、わかってるんだけどさ、間違う自分が許せないのよ。私は、世間が求めているものになるつもりはない。純粋にいいものを求め続けて、自己満足の絵を描き続けて、誰にも見られず、何者にもなれずに、ただこの世界をさまようんだよ、私は。わかってるの。何にもできないし、何にもなれない。私はさ、ただ、空を飛びたいのよ。鳥になって、なにも私を縛らない、自由な空を、どこまでも飛びたいの。地平線の向こうに行きたいの。そして、空から、広大な、群青の海を眺めたいの。それだけなのよ、結局。鳥かごの中から飛び出して、この美しい青空を飛びたいの。頭を空っぽにして、何も考えず、大きな白い翼を広げて、この美しい青空を飛ぶのよ、私は!」

 この言葉を書いたとき、僕はまだ十代だった。もちろん今とは違う気持ちでこの言葉を書いていた。けれど、今の僕はこのセリフを今の僕に重ね合わせて受け取った。記号として、表象として、言葉は何も変わっていないのに、その中身が変わってしまったかのような、そんな不思議な感覚になった。僕の一貫性、僕が僕であるからなのか。この壁に閉じ込められているという構造は、形を変えてまたやってくる、繰り返されるものということなのか。ひとつのそびえ立つ壁だと思っていたものが、その他にも壁が次々と僕の前に現れ、やがて円状の壁が形成されるということなのかもしれない。

 小説の構想が生まれてきた。