稲垣足穂の言語空間には、小宇宙がある。透明で小さなビー玉のなかに、どこまでも果てしなく広がり、数多の星、数多の銀河、数多の銀河団が漂い、急激な膨張を続ける宇宙がある。そんな言語空間が、稲垣足穂の短い文章の中に構築されている。その小宇宙を論じるために、『一千一秒物語』の中にある小品、「散歩前」という作品の全文を、まずはここに載せる。
ある晩 散歩から帰ってきた自分は 街かどで見たある不思議な光景について考えていた ふと壁を見るとなにかクッついている 近づいてよく見ようとしたら ドン! とうしろから突かれた と思ったら壁の外へ出ていた むこうのストレート屋根の上にお月様が昇りかけていた 自分はまだこれから散歩するところだったのに気がついた
現実の法則がそこにはなく、空間の概念も時間の概念も自由に歪められ、いじくりまわされ、分解され、構築され、稲垣足穂はその時空を飛び交っていく。壁の外から壁の外へ、未来から過去へ、その小さな言語空間の中で、稲垣足穂の時空間、どこまでも広がる小宇宙が形成されている。安倍公房は「無限の情報が含まれていないと作品とは言えない」と語っていたが、カフカの言語空間のように、ボルヘスの言語空間のように、極めて短い文章でありながら、この稲垣足穂の言語空間には「無限の情報」が含まれている。それはまさしく宇宙そのもののように、存在している。