体調が優れず、一日中寝込んでしまった(と言いつつ、本は読んでいた)。今、雨が降っているようだ。窓や地面を雨が叩きつけている音が聞こえてくる。
僕は永井均の『転校生とブラックジャック』を読んでいた。この本は対話篇で書かれている。哲学的議論として、そのものの形で、書かれているわけだ。あらゆる視点が交錯し、独在性をめぐる問題を深めていく。大学のゼミが始まるのだが、教授は「ゼミにおいて大事なのは議論することだ」と言っていた。議論というものは、自分の中にある観念を洗練させる。人と直接言葉のやり取りをする中で、ぼんやりと考えていたことがはっきりとした輪郭をもって現れる。逆に、分かっていたと思っていたことが、曖昧だったことに気づくこともある。
永井均の『ウィトゲンシュタイン入門』を読み返していた。僕のなかで、ウィトゲンシュタインについてはっきりさせたいと思ったのだ。ウィトゲンシュタインの本、またその研究書など、様々なものを読んできたが、結局、ウィトゲンシュタインとはなんだったのか、彼がやろうとしていたことはなんだったのか、僕のなかで、ウィトゲンシュタインとはなんなのか、その辺をはっきりさせたかった。僕は特段、ウィトゲンシュタインの哲学に惹かれているわけではないのだが、なぜか、僕の周りをついて回っているし、ウィトゲンシュタインについての本はよく手に取り、そして今後もそうしていくように思う。僕はほとんど好みに従ってしか本を読まない(段階を踏む、という不可避的なものはあるにしろ)が、ウィトゲンシュタインはそういうものとは別の次元にいるように思う。なぜだか追いかけてしまう哲学者、なぜだか重要になってしまう哲学者、僕にとって不思議な哲学者だ。
ナボコフの『ロリータ』を久々に読んでいた。やはり、この言語魔術は凄まじい。言語芸術、小説という形式の頂点が、ここにある。僕は、これ以上の小説は存在しない、存在しえないと思っている。