僕は猫を撫でていた。ふわふわとやわらかく、さらさらとすべり、猫の首元を撫でる僕の指は、この上ない心地よさを感じていた。猫は気持ちよさそうに目を瞑り、もっと撫でてと言わんばかりに顎を上げ、首元を露にする。猫はごろごろと喉を震わせ、小さな鼻の穴から勢いよく息を放つ。僕は猫の毛並みに沿って、顎から首へと指を滑らせる。
僕が小学生のときに飼い始めたこの猫は、名をビビと言う。英語表記は「vivi」。僕が大学生になった今、もう十歳になる。それは、あまりにも早すぎるように思えて、腑に落ちない。もう、僕は、ビビと十年もの月日をともにしたのだと思うと、よりビビを愛しく感じた。僕は人生の半分を、ビビとともに過ごした。ペットは飼い主に似るというが、僕とビビはよく似ていると思う。臆病なところとか(ビビの名前は「ビビり」であることに由来している)、静かなところとか、うるさいのが嫌いなところとか、人との絶妙な距離感だとか。だから僕は、ビビとは共通意識みたいなものがあり、僕の一番の友達だった。憂鬱な朝も、息苦しい夜も、ずっと、ビビは僕のそばにいてくれた。いつも、ビビは僕についてくる。僕が自分の部屋にいるときは、ビビもそこにいる。リビングに行くと、ビビもリビングに来る。風呂に入ると、ビビは洗面所で待っている。寝るときには、ビビも布団にもぐる。そんな風に、僕はビビと過ごしてきた。
そうして、もう十年が経過した。ビビは相変わらず、静かに、穏やかに、元気に過ごしている。ただ、十歳となると、寿命が近づいていることを感じずにはいられない。僕はビビを撫でながら、ビビが死ぬときを想像した。猫は死ぬとき、姿を消すという。ビビが、人目につかない部屋の隅で、静かに横たわり、息をせず、冷たくなっている。もう、あの甘えるときの、高い声で鳴くこともなく、かわいらしいしぐさで毛づくろいをすることもなく、あの優しい温もりも失い、静かに、横たわっている。僕は、狂いそうになるぐらい、悲しくて、寂しい気持ちに襲われた。そんな未来がいずれやってくることを、受け入れられなかった。生き物は、いつか死ぬ。ビビも、僕も、いつかは死ぬ。それは、あまりにも寂しくて、苦しくて、でも、それはどうあがいても、変えることのできない、この世界の決まりで、僕はただ、その決まりを想って、すごく寂しい気持ちで、机に伏せることしか出来ない。