頭が痛い。倦怠と頭痛、それが僕の生を蝕む。
頭痛がかなりしんどい。息も荒い。いつものように眠くなるまで「カイエ」を読もうと思ったが、今日は二ページ分を読んだだけでやめてしまった。頭が、痛い。痛いのは、いつだって額の右側、そこに通っている血管の部分だ。その部分を思いっきり殴りたい衝動に襲われる。
シオランの逆説、矛盾。「カイエ」の中で度々現れるのは、シオランのなかに相反する二つの思想が内包されていること、強烈な矛盾である。シオランが過去の自分自身を見つめているとき、それはいつだって対決となる。過去への攻撃。いや、シオランは、現在の自分でさえも、攻撃している。
人類の歩んでいる道、現代の世界を見渡せば、どこか間違っているのではないかという疑念がぬぐい切れない。絶滅、もしくは古代への回帰というものが、せいぜい人類という種の末路なんじゃないだろうか。朝読んだル・クレジオの「悪魔祓い」に、次のようにあった。
『都市を創造し、コンクリートとアスファルトとガラスを発見することによって、人間は新しい密林を作りだしたが、人間まだその住人になっていない』
『わたしたちは、まだ亡命中なのだ。インディオたちから、わたしたちは急いで学ばねばならない。都市とはなにか、ほかの言語とはなにかを。さもなければ、わたしたちはたぶん窒息して死んでしまうだろう』
僕らはすでに、窒息し始めているのではないだろうか。シオランの言うように、生は精妙になり、陰鬱になり、僕らは窒息に向かっている。この息苦しさ。生というものは海底であり、窒息であり、死んで塵と化すことは、地上への帰還であり、僕は、そこでやっと、深々と、息を吸って、吐くことができる。