朝五時ごろに目覚めて、頭痛で悶絶する。だが、その記憶は曖昧。寝起きであることとあまりにも強烈な頭痛が記憶を曖昧にさせているのかもしれない。今となっては夢、いや、悪夢のような記憶になっている。しばらくしてあたたかいスープを飲んだら、少し楽になった。
頭痛。頭痛の記憶を遡る。初めて倦怠の危機が僕を襲った十三歳の冬、そこに頭痛もいた。頭痛とはなにか? 僕にとってそれは、世界との溝に対する拒否反応だった。あのとき僕を襲った頭痛は、僕の生涯を貫いている。世界に対して為す術がなかった子どもは、倦怠と頭痛という拒否反応を示した。それは僕の生命維持装置が発する警告のようなものだった。世界に対する違和感が決定的な形で現れた瞬間だった。あのときの頭痛には幻覚が伴っていた。視界の隅に浮かぶ、ちかちかときらめく半透明の三日月。透明な狂気。それは僕に強烈な頭痛と吐き気をもたらした。気持ち悪くなるが吐くことができない抽象的な吐き気。思い出すだけで気落ちが悪くなってくる。あれ以来、その半透明の三日月に似たものを見ると気持ち悪くなった。液晶画面に水滴が浮かぶあの光景、あれを見ると吐きそうになる。
「丸いもののもつ慰め」を読み進めていた。不協和音のような言語世界。
「ウィトゲンシュタインはこう考えた」のなかで、「言語ゲーム」の「ゲーム」のドイツ言語は「Spiel(シュピール)」で、その意味は「ゲーム/遊び/劇」であることを知る。この「劇」という意味がすごく腑に落ちる。