夕方と、夜の間。鮮やかな朱色の夕焼けと、藍色の夜空の間。その時間の時にだけ見える、翡翠色の空が、僕は好きだ。一日の中で、ほんのちょっとだけ姿を見せる、その空は、夕焼けから夜空への美しいグラデーションであり、鼠色の曇り空、雲一つない群青の青空、澄み渡った藍色の夜空、いろいろな姿を身に纏う空の中で、最も美しい姿であり、最も儚い姿である。この翡翠色の空は、冬になると、鏡のように冴え、底が見えそうなほど透明で、恐ろしいほどの美しさを僕に見せつける。
僕は翡翠色の空を眺めながら、自転車を漕いでいた。自転車を漕いで浴びる風は気持ちがいい。そして、僕の耳には「転がる岩、君に朝が降る」が流れている。僕はこの時間、この翡翠色の空を眺めながら、この曲を聴く。すると、僕はとても淋しくなる。それは、僕を打ち付けるような、苦しい淋しさではなく、すっと心の中を通り過ぎるような、心地のいい淋しさで、僕はこの淋しさが好きで、この時間には、この曲を聴くようにしている。不思議なことだ。本来、淋しさとは、ネガティブというか、あまりいい意味で使う言葉ではない。けれど、この淋しさは、胸にすっと広がって心地が良くて、美しいとさえ感じる。耳に流れる歌声に合わせて、僕も歌を口ずさむ。
できれば、世界を、僕は塗り替えたい。
戦争をなくすような、大それたことじゃない。
だけどちょっと、それもあるよな。
こんな思いを、僕も抱いてしまっている。世界を塗り替えるなんて、あまりにも大きすぎる願い。別になにをどうしたいとか、そんな具体的な願いじゃないけれど、僕には、なんとなく、この世界を塗り替えたいという、漠然とした思いがあるのだ。どうしてかは、よくわからない。我ながら、子供じみてると思う。
わけもないのに、なんだか、寂しい。
泣けやしないから、余計に、救いがない。
そんな夜を、温めるように、歌うんだ。
わけのない寂しさが、ふとやってくる、そんな夜。僕は「いなくなりたくなる夜だ」という曲を聴いたり、ヘッセの詩を読んだりする。どちらも孤独な夜に寄り添ってくれる、温かい作品だ。
僕は自転車を漕ぎ続ける。僕は今、どうしたらいいのかわからない。前に進んでいるような感覚が無くて。自分が今やっていることが正しいのかもわからなくて。煮え切らない、気持ちの悪い感覚が、胸にこびりついている。僕はどうすればいいのだろう。