時刻は午前二時二十二分。「カイエ」は六〇〇ページに到達した。
「カイエ」の記録。
『私の懐疑思想は、知的なものであるよりも本能的なものだ。私のもっとも内奥の化学の産物、私の諸器官の代弁者だ』
『私がこうもおびただしく本を読むのは、自分の孤独よりも深い孤独に、いつか出会えるのではないかと思うからだ』
『自殺はあらゆるものの論理的帰結だから、私たちに残されている唯一の手段は非合理的なものだ』
雨が降る。久しぶりの雨。窓越しに、くぐもった雨音がかすかに聞こえる。朝読み始めたシオランの「古生物学」は、偶然、こんな書き出しから始まった。〈秋のとある日、はからずも驟雨に遭い、やむなくしばしの雨宿りにと国立博物館に入った〉。僕は雨が好きだ。雨に濡れ、姿を変える景色。艶やかな地面は、周りの風景を反射し、夜になると、街灯の光をゆらゆらと浮かべる。地面にぶつかる雨粒は、次々と波紋を描く。景色はぼやけ、輪郭が曖昧になる。……絶えず、雨の音が聞こえてくる。
クレメンス・J・ゼッツ「丸いもののもつ慰め」を買いに書店に行ったが、その書店にはなく、大人しく帰ることにした。傘にぶつかる雨は、不規則な音楽を奏でる。その音に包まれながら歩いていた。すると、ふと目にした光景が、脳に焼きついた。雨に濡れてべっとりと地面にはりついている淡い黄色の枯葉の上に、いくつか、雨粒が浮かんでいた。それは、宝石のように、透明で、きらきら、していた。雨の宝石。すぐにどこかに滲んで消えてしまうであろう、儚い宝石。
フーコー「言葉と物」第七章「表象の限界」を読み終える。