いつも見る電車からの風景はつまらない。ありきたりの住宅街だとか、ビル群だとか、そんな風景が流れていて、特に見ようとも思わない。そもそも、大抵、見る余裕もない。
今日乗った電車は、ボックス席だった。ボックス席に腰を下ろし、僕は流れる風景を眺めていた。瑞々しい青空の下に、山々が広がっていた。緑の木々の間から、褐色の木々が生えていて、侘しい冬の山だった。僕は、その山々が流れていく、綺麗な風景に心を奪われていた。すこし時間が経つと、地面に残る雪が増え、真っ白な雪が地面を覆う、美しい景色になった。木は、空に向かって、上へ上へと、真っ直ぐ、長く、伸びていた。
暗いトンネルに入ると、僕の顔が映った。つまらない顔だった。トンネルを抜け、窓に景色が映る。その窓には、反対側の窓の景色が反射で映っていた。山の上に、ふっくらとした雲があった。しかし、それは反対側の窓の風景の雲で、ほんとうは、山の上は青空が広がっていた。風景と風景を重ねた光景を、僕は眺めていた。僕は川端康成の「雪国」の冒頭を思い出した。
電車を降り、駅を出ると、清らかで、冷ややかな、山の空気が漂っていた。日差しは温かく、春を思わせた。そんな中、僕は氷柱を見に行った。氷柱は、真ん中に雪解け水が通る中で、透明に、美しく凍っていた。雪解け水が流れる音は、心地よく、静かで、美しかった。氷柱は溶けつつあった。先端から水が滴り、しゃらしゃら、と崩れる音が時折聞こえた。春が来るのだと思った。
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風呂で火照った体を冷ましに、僕は外に出た。静寂に包まれた、暗い、夜の世界。明かりの少ない山奥。夜空を見上げれば、黄金色に輝き、鋭く冴えた三日月が、目に飛び込んできた。黄金の月光が眩しかった。月のそばにある雲は、月光に照らされ、夜空の中で白く光っていた。夜空一面に、星が散り、輝いていた。その輝きは強烈だった。星は、ぎらぎらと輝いていた。星が燃えるように輝くという比喩は、この景色のためにあるのだと感じた。きらきら、ではなく、ぎらぎらとした星々。僕は星空に見とれてしまった。なんて、美しいのだろう。プラネタリウムで見た、満天の星空は、ほんとうにあったのだと感じた。本当の、満天の星空を見ると、無機質なプラネタリウムとは違い、星は生きているのだと感じた。命だ。夜空で燃え上がる、たくさんの命。人は死んだら星になるという考えは、ここからきているのかもしれないと思った。
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飛行機が飛んでいた。夏かと思うような鮮やかな青空に、真っ白な飛行機雲を描きながら、上に向かって飛んでいた。真っ直ぐに描かれた真っ白の飛行機雲は綺麗だった。飛行機雲が見えると雨が降るというけれど、実際、昨夜、飛行機雲を見た後、雨が降っていた。ぎらぎらと輝く星空をまたみようと思っていたから、僕は驚いた。
今日も、鮮やかな青空が広がっていた。燃えるような、青々とした青空。今日もそこに、飛行機が飛ぶ。けれど、飛行機雲は残らない。少し経つと、空に溶けてゆく。今日は雲も見えない。清々しい青空だった。そんな空の下で、石畳の川岸を歩いていた。向かい側は地層がむき出しだった。山、川、地層。僕は石畳の上を歩き、それらの風景を眺めていると、地球という、この星の存在を感じた。険しい石畳の道をずんずん進んでいく中で、僕は改めて自然が好きなのだと感じた。なぜ、僕はこんなにも自然が好きなのだろう。川の水は透き通り、底が見えた。むき出しの地層は迫力があった。自然が、さらに僕を惹きつけた。
その後、僕はロープウェイで山に登った。白い梅の花が咲いていた。見渡せば、山々が連なっていた。どこまでも、青空が広がっていた。視界が開けていた。とても遠くまで見ることができた。ほんとうに、いい天気でよかった。景色が、綺麗だった。景色が、澄んでいた。燃える青空の下、梅の花の奥に山が連なっている美しい光景を、僕は何度も立ち止まって眺めていた。優しい春の香りがした。