僕の世界

文学少女
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 僕らは言葉を使って思考する。言葉を使って世界を認識する。言葉を使って人に何かを伝える。僕らは言葉によって生きている。

 僕はいま見ているものに言葉を与えることができる。青色。本。辞書。パソコン。そうして、僕らはこの世界の物に、一つ一つ言葉を当てはめていく。言葉を当てはめることで、僕はそれを認識し、他のものと区別することができる。本というものを、赤い本と、青い本に分けて区別することができる。言葉。ギリシャ語で「ロゴス」。その本質は、区別することだというのを、評論文で読んだことがあるように思う。そして、言葉を与えたとき、人は初めてそれを認識することができる。

 ナボコフは蝶を愛していた。そしてたくさんの蝶の名、言葉を知っていた。子供のころ、一緒に歩いていたひとに、さっきたくさん蝶がいたね、と話すと、その人は蝶なんて一匹もいなかったという。その人には蝶は見えなかったのだ。

 ウィトゲンシュタインは、言葉を世界の対象を写す像だとした。僕らは世界の対象を、像、言葉に写す。その言葉を世界に対応させると、僕らは言葉で世界を作ることができる。言語の限界が、世界の限界になる。すると、人は、各々、別の言語を知っていて、別の世界があることになる。世界は、僕の世界である。

 僕の小説は、僕の言葉で構築される、僕の世界である。僕の知っている言葉によってのみ、僕の小説は構築される。僕の書いた小説とは、僕の世界なのだ。僕は、むかしから、自己表現の手段を探していた。それは、僕の世界を、誰かに伝えたかったからだ。そして、僕は今、小説を書いている。小説は、言葉で構成される。僕の見た景色、嗅いだ匂い、感触、温度、感情、聞いた音を、僕の言葉を用いて表現する。そして、その僕の言葉は、僕の世界を作り上げる。小説を書くことは、僕の世界を作り、表現することに他ならない。僕の世界はまだ狭い。それは、僕の知っている言葉が少ないからだ。僕はこれからもっと言葉を知っていき、世界を広げていく。そして、僕の世界、小説が、大きくなる。

 僕の世界とは、どんな世界なのだろう。