発達障害と家族

発達やADHDと家族である のが不幸せみたいな風潮、とても辛いなあと思う。とても辛いという言葉には、おさめられないくらい。一部ではあるが、SNS流れてくるものでいつも、読むと落ち込んでしまう。私がその当事者でもあるということが大きいかもしれませんが。

昨年とても悩んでいた。周りのあまり影響しなさそうな人にも相談をした。パートナーがADHD傾向というのを結婚してから知り、私も若干カサンドラの傾向の時期がある。(カサンドラ症候群は、ADHDの家族が引き起こす鬱状態を示します 詳しくは検索して!)

でも、私はパートナーを責めたい訳でもないし、彼の素晴らしいところを分かってたつもりだった。そこをちゃんと分かりたいとも思ってた。しかし私の仕事は、時間も際限もない世界線で闘う必要のある仕事で、プレッシャー状態が常にあり、不安感があった。そうなると、どうしてもポツリと不安感を呟いてしまう。呟いた罪悪感に苛まれる。そんなループの日々。

仕事で家にあまりいないと、コミュニケーションも圧倒的に少なくなるし、パートナーへの出来ないことへの目立ちも増えた。イライラするし、絶望感にも苛まれる。難しい時を過ごしたなと自分でも思う。

日本の幸福観は、正しさばかり提示する。正しさと対峙すると、私たち家族の「できなさ」や「普通と違う異質感」と向き合わなければいけない。私はかなり悩んでいた。

相手の精神や状況を責めたいわけでもないのに。世の中が提示するのは「そういう相手は選ばないでおきましょう」という話。なんなのでしょうか? 私たち夫婦は、いつも世の中に置かれる。悔しい。だから環境を変えようと思ったのも、一つなのかなあ。

@bunmyakuhenshu
文脈編集室(仮) / 九州の編集とデザイン / 箱崎商店街オープンスペース+工房+庭「文脈」 / 山で社会をそだてるNPO mie 理事 / podcast「ふわふわし続ける」/ 0.7倍速の喋り lit.link/satouhitomi