推しかた、推すちから、推しとのつきあいかた

ぐら
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Twitterをぼんやりと眺めていると、推し方が難しいな、と思う。

推している対象が同じであっても自分と他者とでは推し方が異なる。違う人間なのだから当たり前なのだけれど、他者よりも自分が推せていないことにしょんぼりしたりする。

推したいなと思っても、「今更」「この程度じゃ」と思ったりもする。

財布が悲しい時、「たまにしか買えないな」「いっつも買えなくて申し訳ないな」と思ったりする。

多分そんなこと、気にしなくてもいいはずなんだけど、それでも考えてしまう。

推し対象に「喜んで欲しい」以上に、「よく思われたい」っていうのがあるんだろうなぁ……。

推すことを通して、自分を認めてもらいたい、というのか。そういう「欲」なのかもなと思う。

まぁでも、こうして悩んでても推しが元気になるわけでもないし、お金や時間、体力は有限だから、自分にできる推し方しかできない。

お財布が苦しい時は仕方がない。元気がなくて、予定が合わなくて見に行けない時も仕方がない。

自分の生活を苦しめない程度に、推し活をしよう。ライブ配信を観に行けなくても、後からでも思い出したら観にいこう。そうして「ありがとう」の感想を届けよう。

「いまさら」かもしれないし、「それだけ?」と誰かに思わせるかもしれない。でも、自分が「推したい」と思ったら少しでも周りに見える形にしていこう。

そう思った2024年。

@c9h11o2
大々的に拡散されなくても良い記事などをここに書いていこうと思います。