5月全然記憶ない、生きていたら終わった。
それはそれで幸運なことだなと思う。
*あらすじ程度だけど映画「犬王」の内容に触れている
読んだ本
・おいしいベランダ。
・スフィアの死天使
・ビブリア古書堂の事件手帖(2巻まで)
今月は文庫だけぱらっと読んだ程度だった。
ビブリア古書堂おもしろかったな〜。数年前も読もうとしたことあるんだけど、子供の頃に見たドラマの映像がチラつきすぎてあまり集中出来なかった覚えがある。流石に記憶が薄れつつあって良い空気感で読めた。どのお話も好きだけどやっぱり「それから」が1番好き。
借りてる本はまだあるし今月買った本もあるから6月もぼちぼち読み進めたい。まだ眺めて、たまにほほ笑みかけるなどしている。
犬王
DMMTVの配信始まっていてうれしくて観た。
劇場で見た時はまだ歴史のロマンをまるで理解しておらず興味も無かったから、これだけの制作陣が集まって「犬王」の物語を心血注いで紡ぐこと自体に驚いて、呑気に「大人ってすげ〜」みたいなこと思ってた覚えがある。(成人していたが)
刀剣乱舞の大慶実装に伴って、急に「歴史ってマジの過去なんだ……」ということに気づいてから今大体のものがかなりおもしろいので、遂に「犬王」そのものにときめくなどした。
犬王という存在が曖昧で後世に語り継がれていないことを踏まえると、その犬王が新しい平家物語を拾おうとしている構図が何とも皮肉でおもしろいな〜。また観る。
「個人的に好き」でいることについて
これは何かの感想ではなく最近考えていること。
5月頭は刀ミュ、6月頭はまほステに行った。
あと6月から「科白」「綺伝」の配信が始まったのでそれもちびちび観ている。
だいたい4年前くらいに出会った友人たちの影響をモロに受けて今2.5次元だいすき人間になっている。なんなら私が1番ハマっている。
思えばここ数年ハマったものって基本的に誰かと一緒にハマってて、飽きもせずなぜそれが好きなのかどう好きなのか考えて話し合っていた。(お喋りというより議論だった。毎回)
友人たちと物理的に距離が離れて、一緒に舞台を観に行くことはとんと無くなってしまった。そもそもひとり遊びが好きな性分で友人が近くに住んでいてもひとりでフラフラすることは多かったから、胸が詰まるような寂しさはあまりない。通話は結構頻繁にしてるし。(感謝)
驚いたのはひとりの暮らしになってもべつにひとりではないということで、皆で観た映画とか舞台とかを観ると、友人の声がすること。ありありと姿が浮かぶ。おもしろい。
私は、自分が今何が好きで/何故好きで/どうやって好きをしているか、が最も大切なので、私の中には私が選んだ本だけが並んでいるつもりだった。
けど実際には友人たちが好き勝手に本を並べていて、私はふとした瞬間にそれを手に取っている気がする。
それは私が友人たちの「好き」を自分のものと勘違いしているということではないか?友人が好きだから好きなんじゃないか?別にそれでも構わない人は構わないだろうし全然いいんだけど、私はあくまで私の個人的な感情によって好きでいたい。(誰かが好きだから好き、をやると不安定になると思い知ったため……)
というようなことを考えながら品川に向かい、まほステを観に行き、当然のように好きをして帰ってきた。たのしかった。
1年前友人と歩いた道を1人で歩いて品川駅について、1年前とは違う路線で帰った。
ここで漸く、私の好きも友人の好きも私の中に内包されている以上「私の好き」であり、自分がきちんと「個人的に好き」の状態にあることを理解できて、なんとなく安心した。それでいい。
「綺伝」が大好き。なんで好きなのか何遍も何遍も喋ったのでとても語り尽くせないけど、一つ挙げるなら「個人」の描き方が好き。それぞれ見ている方向が全然違う。まあ刀剣乱舞なので敵倒すしその為に結託するけど、何はともあれバラバラなのがいい。
友人と初めて会った日のことも、勢いで科白劇のDVD買った日のことも、初めて一緒にサークル参加して帰りの電車で全員フニャフニャになったことも、たまたま観劇予定被って新歌舞伎座の近くでドーナツ食べた日のことも、幾度となく刀ミュや刀ステを一緒に観た日のことも全部全部めちゃくちゃ覚えている。
私たちもまた「個人」であり、多くの思い出を共有しながらもそれらはすべて各人だけのものなんだな〜。やっと折り合いがついた。
別につける必要もない折り合いのために時間を費やそうね〜!これからもね〜
そんなダチとまたサークル参加をするよ〜
ウハハ こうしてみると全然離れ離れではない。
死なない限り我々は離れ離れにはならないし、なれない。けれども個人的にね それぞれ好きをやっていきましょうね、6月もそのうち終わるぜ〜
おしまい
喋りすぎている。そのうち黙らせちゃいそう。