「感性を大切にする」とはつまりなんだったのか 01

calmix
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 社会人になったことだし、穏やかに大学生活の振り返りをしていきたいと思う。大学時代、漠然とずっと悩んでいた気がするし、その結果あまり前進できていない気がする。思い切りは悪くなったし、面白くもなくなった。でもそれはそれで良かったんじゃないかと思ってもいる。これから、そういうことを記したい。

 大学生活を振り返るにあたって、振り返るということは今を起点にして行われるべきだと思うから、時系列順に全てを振り返ることは望ましくないような気がしている。だから、論点ベースで、思いつく順番で語っていくような形式を取る。ひとつだけ保険をかけるならば、この記述は、書き記せるくらいの単純化がされているので、本当にこの思考を辿ったというよりはむしろ、今思うとこういう理屈で納得したに違いないという類推でしかない。

 書いていた思ったことだが、小分けに出さないと一生書き終わらない気がしたので、小出しにすることにする。何日続くのかも、どれくらいの長さになるのかもわからない。途切れた時が、最後だと思ってもらえれば良い。


「社会人になる」にあたっての抱負

 社会に出て働きはじめることによって、明確に何かが終わってしまうことはわかる。終わってしまうものは「子ども時代」と呼ぶことも出来るかもしれないけれど、もう少しだけは子どもであるような気もする。大事なのは、自分が大人になることは、受容できなくても終わってしまうということ、そしてちゃんと考えないと、終わらせなくてもいいことまで終わってしまう可能性があるということ、概ねこの辺だと思う。最近、高校卒業と同時に終わってしまったもののうち、終わらせる必要のなかったものがあったことにしばしば想いを馳せる。この前、一個下の後輩には「なぎさんにはもう目に元気がないですよね」と言われて苦笑いしてしまった。そうでありたくないな、と思う。

 ITの企画みたいなことをすることになる。自分に向いているのかは、実を言うとよくわからない。就活で考えていたのは、ぼくは設計士のような頭の使い方をするのはあまり得意ではないから、いわゆる上流と呼ばれるような仕事はあまり向いていない。例えば脚本とか書くのが苦手だし、多分そう。どっちかというと、実際にやってみて、何が起こって何が悪かったかを言葉にして、修正をしていく方が得意だ。目の前の出来事を分析して抽象化することは、そこそこ得意な方だと思う。だからそういう切り口で行けば、まぁまぁ向いている職なんじゃないかと思う。上流でない分、友人たちに比べてもらえるお金は若干少なそうだけど、でもまぁ、向いてることをやってそこそこお金がもらえるなら、とっても良い職だと思う。

 なにかひとの感情を揺さぶるようなものを作りたい。面白いものを作りたい。だから、今のところ「お笑いライブ」を続けたいと思っている。幸い、一緒にやってくれている友人たちは乗り気なので、少なくとも向こう何年かはやっていけるんじゃないか、と思う。 コンテンツを作るときの、やりたいことがあって、マネタイズがあって、観客の望むものがあって、それらをパズルみたいに上手くはめていく検討は面白いけれど、難しい。そういうものはずっと志しながら上手く組み上げられたことが1回もない。人生で一回くらい、全部噛み合って、観客が引くくらい爆発したものを作りたい。ニッチ受けみたいな”逃げ”は、もうしない。でも作り込んだ方が面白いじゃないかと、反対側でオタクカルチャーに育てられた感性が声を上げているので、やっぱりダメかもしれない。そういう呪いなのかも。

 自分のやっていることが、自分の信じるところを実現するための手段でありたい。それがどれだけ小さくても、人から見えなくても、かまわない。なぜなら、ぼくが高校を出て感じた大学や社会への最大の不満はそこであるから。意義のある(と信じる)ことに対して戦略を練ることでしか、あらゆる活動は肯定され得ないと思うから。...ここまで厳しく思ってはいないかもしれない。せっかく生きているなら、いいことしたいよね、くらいの温度感が適切かもしれない。まぁ、言ったところで実現できるかはわかんないんだから、この辺で風呂敷を広げるのはやめておこうと思う。

 ひとまず人生への宣言をしたところで、明日からどうしてこんな感じになったのかについて、ちょっとずつ触れていこうと思う。全然下書きも何もしていないけれど、大学生活では概ね「感性」について考えていた。なので、その辺のことを中心に書き始めたいと思う。ここまで書いていて気づいたことなのだが、書いている時のテンションに内容が引きずられるので、多分内容がガタガタになると思われる。それは悲しいので、公開後サイレントに修正することでバランスを取りたいと思う。

それでは。みなさん社会人頑張っていきましょう。