「感性を大事にする」とはつまり何だったのか 02

calmix
·

「やりたいこと」と向き合う・責任を負う・動きすぎてはいけない

 「やりたいこと」という概念に向き合うのは、とっても苦手だ。中学に入ったあたりから突きつけられ続けた問いには、ついぞ答えを出せていない。とはいえ何につけても「やりたいことは何ですか?」と問われるものだから、何となくその場のノリで暮らしてきた。やりたいことをやるという事に価値が置かれているのはひとつの思想でしかないと僕は思うけれど、そんなことを言っても仕方がないので、何かしら「比較的」やりたいことを提示することにしていた。

 だからいつも、何かに夢中な後ろ姿を見せている人のことが羨ましいなと思っていて、でもそんな気持ちを悟られたくはないから、同じように何かに夢中になっているフリをしていた。この文章を読んでいて僕を知っている人の中にはそういうやりたいという我儘さを装って誤魔化した挙句、迷惑をかけたこともあると思う。その装いの過剰さも含めて「やりたいことをやる」が苦手だ。

 「やりたい」という気持ちが、正直なことを言えばわからない。恋愛をしたことのない人が「好き」という気持ちがわからないのだというのと同じように、「やりたいこと」を掴むことができなかった。 就活をはじめたゼミの先輩に「やりたいことってどうやって見つけるんですか?」とバカみたいな質問をしたことがある。2020年の夏、鳥取砂丘から帰るバスの中だったと思う。 「やりたいこと」を名詞で考えるんじゃなくて、動詞で考えるといいよ、と親切に対応してもらい、その時は天啓を受けたかのような気持ちになった。のだが、結果的にはあんまりヒントにはならなかった。多分、人生において意識的に"快"を感じていないんじゃないかと思う。何となく惰性で生きていて、でも惰性に見られたくはないから、やりたいことをでっち上げて振る舞っている。


 いつからかは定かではないが、「やりたい」という感情を、「(そうで)あった方が良い」という分析と一緒くたにするようになった。この記述だけだと義務感の権化みたいに聞こえるかもしれないが、真意は微妙に異なっていて、「しまうべきところにものがしまってある方がいい気分がする」みたいな感じだ。

 そうであった方が良い、という考えに甘えると、ある程度「楽」だと言える。ほぼ議論の余地なく「正しい」「そうあった方が良い」と思えるところをスタートにして、ある種ロジカルに、どのようにしたらその「正しい状態」が実現するかを考えるだけで済む。そして、それは周囲の人に理解を得やすいという点で「便利」でもある。実は議論のスタート地点も、「ロジカル」に見える部分の思索も恣意的であるのに、積み重ねて塗り固めることで、さも客観的であるかのように見える。それは人から見てそうであるのと同様に、自分から見てもそうである、というところが便利であった。毛糸を巻いているとき、いつの間にか糸の最初の部分は埋没してしまって、どこにあるかわからなくなるのに似ている。中心にやりたいことがあるかのように見えるし、自分にもそういう暗示をかけている。

 そういう普段の思考は、学園祭運営スタッフ-先進班での活動でかなり役立った。先進班がやったことは結局のところ、局員の「やりたい」を運スタの「やるべき」に翻訳していく作業だ。なぜその企画を思いついたか、どんなことを実現したいか、それがどう役に立つかの言語化を伴走して考える作業は、僕にとってはかなり得意だったと言えた。

 と、同時に、企画責任者の20人弱の話を聞くうちに、自分よりも局員には「やりたい」という感情が独立して存在することにびっくりした。とても具体的に「これがしたいです」と言われて結構動揺してしまった時もあった。僕にとってのやりたいことは「なんとなくグラフィカルなことに興味がある」とか「大きい企画って楽しいよね」とか、そういう漠然としたことでしかなくて、だから代わりに「外でやればコロナ対策にもなるよね」みたいなわけのわからない「メリット」を理由に「やりたい」を主張していた。誤魔化しているにすぎないのだけれど、実際に企画を通す上では後者みたいな「理由」の方が重要で、幸いにも僕はそういう誤魔化しに慣れていた。だから、今までついてきたたくさんの嘘のバリエーションをひっくり返すみたいに見せて、その中から企画をするべき理由を、企画責任者に選んでもらうような感じだった。ひょっとすると、なんでそんなに嘘を吐きたがるのか不思議に思われていたかもしれない。今思えば、もっと(別段ネガティブな要素を含まない種類の)嘘をついているのだということを説明すれば良かったのだけど、当時はそこまで頭が回っていなかった。

 といいつつ、僕は企画書を書くのがあまり好きではなかった。企画書を書く時に要求される「未来を予測すること」みたいなものが、ある程度得意なくせに大嫌いなんだと思う。企画書を書いている段階で求められるのは、ある程度の精度で「当日の様子」を綺麗に記述し、そこに至るまでの過程を妥当になるように計画することで、つまり、不確定要素を減らす(あるいは無くす)ことに他ならない。でも、なんとなくそれって楽しくないなぁ...っていう。一方で世の中では不確定なことってのは嫌われる傾向にあるから、歳を重ねるごとにより推測可能な方向に流れていく。そういうのが、なんとなく嫌いだった。何となく、事前に予期できなかったような価値を提供した方が僕は「面白い」し「偉い」と思っている。だから、何のために企画をやるかとか、どうやってその価値を提供するために道筋を立てるのかみたいなのは得意ではあったけど、いつもそうならないほうが面白い、とさえ思っていたし、祭はイレギュラーばかりが起こるから、大好きだ。

 だから、同じ年に実施したプロジェクションマッピング企画(PM企画)はとにかく不確定要素の多すぎる企画で、とっても楽しかった。機材を企業協賛で獲得できないと企画実施が困難、大学次第で場所もどこが使えるかわからない、他部署との調整も大変そう、動画もそもそもあんまり作ったことがない、と来ており、まぁ、出来なさそうだねぇ...というのが当時の正直なところだった。大変だったとも言えるのだけど、一方でその見えなさが面白かったとも言える。

 この面白さと責任を、独り占めしてしまったことには反省がある。というより、最初は分割するつもりだったのだが、単純に分割できるほど僕にリーダーシップ能力や表現する力がなかった。だから、本来すごく良くないことだけど、ある種色んな人に無条件に信用してもらう必要があった。達成したいふわっとしたビジョンと意義だけを揃えて、その達成過程については「頑張ります」としか言えないというまぁまぁ最悪の形で、しかも動画制作に至っては本当にどんなものを作るのかも説明できないレベルだったから、なんで信用してもらえたのかは本当にわからない。ここでは、わからないと言わずにありがとうというべきだが。

 想像できなかったものを作るために必要な過程は、まずはすべてを引き受けて作るということで、その過程の猶予のために何かしらのナラティブをして誤魔化すという作業が必要になる。もちろん、うまくいかなければ責任を引き受けなければならないし、そのために色んな人に(わかりきっている不安を)なかったことにしてもらわなければならない。本来は僕の「信用残高」を切り崩してやるものだと思うんだけど、あいにく僕には組織内での信用の積立がなかったので、何人かに借金の肩代わりをしてもらった。本当に迷惑なやつだという自覚は、あるつもりだ。一緒にやっていた猿木が「まぁやってみよや〜」みたいな姿勢でいてくれたこととか、石井がマジで何の説明もされないままに人から多分文句にならないような感情を向けられながら粛々とロジを組んでくれたこととか、マジで頭があがらない。動画制作を一緒にしていたメンバーはある程度関係性があったので、迷惑は沢山かけたものの同じナラティブをある程度共有した状態で企画の準備が出来たのだけど、外側に対しては全く出来ていなかったと言わざるを得ない。自分がリスクを取ったおかげだと肯定することもできるけど、本質的には信じてくれた人たちのおかげでしかない。(でも、ちょっとだけ欲張りに俺のおかげだということにしておきたい。)

 そういう「跳躍」の結果としては、PMはまずまずだったんじゃないかと思う。石井が酔うたびに「お前のことは嫌いだけど、でも本当に良かった」と言ってくるのはそういうことだと思う。嘘、彼に何の確認もしていないから、推測でしかない。こう見るとめちゃくちゃ『動きすぎてはいけない』なのかもしれない。

 PMの価値は、色んなところに散っていて、そしてそれはある意味で最初から実現したかったとも言えるし、出来上がってから後付け解釈的にそういうものだったと言ってしまっていることもあると思う。スタッフのでっかい「やりたいこと」を実現できる学園祭の実現、祭りに不可欠(だと思っている)な不合理な価値の実現、学園祭に芸術成分を足すこと、コロナ文脈に回収されることへの抵抗。それはどれも、「やりたい」というよりもむしろ「やった方がいい」ものとして、思っているというだけのことだった。

 当然これを「やりたい」というべきなのかもしれないとも思っている。結局のところこの苦しみは、中学から衝動への信仰をやめられていないことに起因している。少なくとも中高では、やりたいことというのは、ほとんど「それなしには生きていけないほど没頭すること」を指していた。友人はそれをフェティシズムなのではないかと言っていた。そういうフェティッシュは他人には理解されないし、それが故に衝突したりもするけれど、そういう衝動がすごいものを作ったり、何かたいそうな物を達成したりするのを見慣れてしまったので、そんな自分にないものを望んでしまっているんだと思う。当然、呪いにかけられたように僕の衝動=フェティッシュは何なのか見つけようとしたけれど、この10年間で形あるものは見つからなかった。だから、「やるべき」から派生した、僕の採点基準だと65点くらいの衝動を愛することをしなければと思っている。それが、まぁかなり難しい。

 「お前はどうしたいの?」という問いをどうやって嚥下していくのかは、そんなに簡単な問題ではない。別にすごくやりたいわけじゃないことも、やりたいことにしておくべきなことが多いし、そのほうが実際楽しいことが多い。「やりたい」と言わないと始まらないこともある。というか、「やりたい」という意思表示は、大抵の場合衝動ではなくて、責任(この言葉を濫用している。あとでちゃんと記したい。)を取ろうとすることの表れでしかないと僕は思う。それを規範化することはしてはならないと思うけど、もしそれをやるべきだと強く望むなら、「やりたい」とするべきだ。

 でも、やっぱり「やりたいこと」の形に塗り込むことは結構苦しい。やった方がいいと思うことを「やらせてください!」と言い張る時の虚しさと、言質を取られている感覚を、まだ100%は愛せない。