そろそろ5歳になる息子がいる。
息子が育つ過程を観察してきて、人というのは、自我も固まりきっていない時期から、何かが「できる」ようになることを周りから期待されて生きることが要請されているのだなと気付いた。
特段に優れたスキルや知能を持たせたいと思っているわけではないが「そろそろ立つのでは、歩くのでは、話すのでは、少し教えたら足し算できるのでは」みたいなことは親として頭によぎってしまう。もちろん、他の子どもと自分の子どもを比較してしまうことも(恥ずかしながら)ある。
生まれた瞬間は、子ども「生きている」ことそのものを素晴らしいと強く思い、それ以降も根本的にはそう思っているのだが、残念ながらその思いだけで充足するよう人間はプログラムされているわけではないようで、期待は生まれてしまう。
期待に応える、あるいは期待を超えるような「できた」体験は、親も子どももとても嬉しい。この報酬システムが、また新たな期待を生み出していく。
やがて幼稚園や保育園、学校といったコミュニティに子どもが足を踏み入れるなかで、「できる」ことへの期待の輪は幾層にも広がっている。
そのなかで「できない」こと、期待に応えられないこともたくさん経験するなかで、辛い思いをしながら、自分は一体なにができるんだろう、自分らしさは何だろうという問いを持つようになる。
その問いに対する答えとして、自分らしい「選択」をしてみる。その選択の結果、「できる」サイクルが再び周りはじめることもあるし、別の壁によってやはり「できない」で苦しむこともある。
成熟してくると、あまりにも「できる」サイクルが続きすぎることで視野が狭くなってしまう危険性を感じ、あえて「できない」ことにトライしてみるという選択もするようになる。
ふとしたきっかけで、私は「できる」という言葉を幼い頃から意識して取り扱いながら、成長することになった。
「できない」ことばかりだったし、「できる」ようになったことがすぐに通用しなくなって悔しい思いもたくさんしてきた。「『できる』という言葉は罪だな」とも思ったことがある。特に苦しんだ思春期の記憶は今でも残っており、北国の雪の景色が思い出される。今となっても、その思いは変わらない。
そんな自分であっても、子どもを持つようになり、組織のマネジメントをするようになり、大きなエコシステムと向き合うようになり、「できる」ことを期待する立場にもなっている。
大きく移り変わる世界にあっても、この因果めいた構造は変わらないのだなと思う。この葛藤が成長と言ってしまうことは簡単だが、もう少し気楽に生きやすい世界になれないかな、とも思う。
ただ、「できる」ことの連鎖から抜け出すことは、現実的には難しい。今の経済社会の構造が、個人および組織(国・会社)が付加価値を提供して報酬を得るという交換を基礎とし、かつ付加価値の継続的な上昇を前提とする資本主義社会は、個人および組織がますます「できる」ようになることを要請している。
「できる」をめぐる葛藤は、避けられぬ宿命とも言える。
せめて、このような社会構造に立ち向かうための巣としての家庭において、家族の皆が抱える葛藤を癒す場でなければいけない。
眼の前にいる子どもに対し、期待を薄くし、「あるがままに感謝し、受け入れる」ことなのかもしれない。それは全くもって簡単ではなく、修練であるとすら言える。
エーリッヒ・フロムは「愛するということ」で、愛は技術であると言い切っている。愛されるといった受動的な行為、あるいは恋に落ちるといった偶然の事象ではなく、「愛する」という意思を持った行為だと。
「できる」の因果を超え、「あるがままを認める」ということも、意思をもった行為でしかなし得ない。そして、社会を構成する人々が意思を持った行為を継続することで、世の中ももう少し生きやすくなるのでは、とも思う。
これを書いてみて思ったが、激しく移りゆく環境、それを牽引する技術に注目が集まるなか、「どうすれば良い社会ができるか」「個々人はどのような考えを持ち行動するべきか」という人文科学的な問いの存在感自体が、随分薄れてしまったように思う。
振り返ると、特に1960年〜80年代はそのような問いばかりが世の中に溢れていたようにも思う。特にこの20年ぐらいで一気に変わってしまった。
生きるための哲学、人と人が織りなす社会をうまく回すための哲学が、密かに求められているのかもしれない。