今朝はあいにくのくもりだったけれど、桜の木もすっかり新緑に。毎年5月頃の新緑が眩しい季節がとっても好きだ。雨と湿気の6月がやってくるほんの少し前にだけある、爽やかな季節。(6月は祝日もないしなかなかヘビーな1ヶ月だなと毎年思う)
20代の頃の活動度合いと人に会う頻度や人数を、10段階中10か9だとすると、今は3くらい?
31歳で妊娠して、出産、産後の大変な時期を過ごしているときは一刻も早く、あの頃と同じように外に出て活動したかった。どうしてこんなに思うように動けないんだと、しょっちゅう嘆いていた。
徐々に子供の手が離れて、もう小学生になって、あの頃の何倍も拘束されることが減って来たのに、今のわたしは家がめちゃくちゃ好き。1日中外に出なくて良い日(予定や用事がない日)は心底ホッとする。
体力的に土日のどっちも予定が入るとつらく、回復するために家にこもる日は若い頃もあった。でもそれは「家が好きだから家にいたい」とは全く別の感覚で。
実家、夫と同棲を始めた小さなアパート、引っ越し先のマンション、そして今の家。「あ〜…家は良いなあ」と思いながら暮らしているのは、今が初めてかもしれない。
家の中でちまちまと手を動かしたり、書いたり、家事をしたり、ぼんやりしたりが本当に落ち着く。まさか自分がそんなことを言っているなんて、若い頃のわたしが見たら口を開けてあんぐり…呆然…なはず。
ずっと上を目指してきた人生。自分自身も、周りの人も、「これくらい君なら(わたしなら)できる!」と期待し、必死に応えてきた人生。
きっと子供の手が離れてきたら、あの人生の流れに戻るんだと疑っていなかった。
でも今のわたしはこんな風。
それを受け入れることに、とても抵抗があったし、時間もかかった。(まだ完全には受け入れられていないかもしれない。正直、これまでと真逆に近い生き方だし、怖いとも感じる)
自分で自分に「外で精力的に活動せねば!成功せねば!それこそがわたしの人生だ」とずーっと言い聞かせてきたものだから。
誰かに「今何してるの?」と聞かれた時に、堂々とこたえられる「何か」を常に持っていたかった。小さなことよりも大きなことを追い求めたかった。
その辺りの根深い話については、この数年で散々書いてきたけれど、これまでの自分が信じてきたものと、新しく芽生えたものがわたしの中で言い合いしてるのだろうな。
これで良いと思える日と、前みたいに頑張らないと!と責められてるような気になる日が交代でやってくる日々だから。
なにせ今年で40歳。
赤ちゃん〜幼少期は日々の中で楽しく暮らしていたから、その辺をざっくり除いた30年くらいを共にしてきた価値観。そりゃすぐには入れ替わらないし、この先もふとした時に顔を出すんだろう。
ただ人生の後半戦に入る年代になって、もうあんな風にずっと戦闘モードみたいな生き方はしたくない。
この先は、気持ちの良い野原で風に吹かれながら深呼吸しているような心地の人生が良い。