最近息子に「子どもの頃の思い出を話してよ〜」とせがまれる。その度にいろいろと思い出して話しているのだけど、昨夜は「夏休みの思い出!」と指定された。
思い返せば、朝のラジオ体操から始まり、近所の子達と行ったプール、家の前での花火。花火大会の日には夜20時くらいから「花火が見えるスポット」にぞろぞろと集まって、毎年新鮮に感動しながら見てた。楽しかったなあ。
宿題とこどもチャレンジの課題を中々終わらせずめちゃくちゃ怒られたり、夏祭りでハメを外しすぎて翌日から必ず熱を出して寝込んだり(今考えたら熱中症のような?)、いとこが夏休み半ばからずっとうちに泊まって一緒に短期の水泳教室に通ったり。
あの頃は夕方にはちゃんと涼しい風が吹いてきて、夜はエアコンいらずの過ごしやすさだった。住んでる場所の違いもあるだろうけど、今みたいな、朝から晩まで殺人的な暑さでとても外に出れない…なんてことはなかった。
わたしの子ども時代の夏休みは「the 夏休み!」といった感じで、思い出がたくさんある。
息子はどうだろうか?
さっき書いたように、よっぽどの早朝じゃないと朝からめちゃくちゃ暑い夏の日々。日中に公園なんてとてもじゃないが連れ出せない。
住んでいる地域は子ども会も解散していて、彼は早起きをして眠い目を擦りながら参加するラジオ体操も知らない。年少〜年長時代はコロナ禍で、夏祭りも盆踊りも中止で体験できないまま、小学生になった。
昔みたいに近所の子どもたちがごっちゃになって遊ぶ!(親はノータッチ)なんて感じでもないから、1年生の夏休みは学童に行く日以外、どうしても家にこもっていることの方が多かった。
なんだか小さく小さく過ごさせてしまっているような気もするけど、彼は彼なりに楽しかったようで特に気にはしていない様子。
ただ、自分自身が自然が多い場所で育ったため、街中で育っている彼を見ていると、それだけが足りていないと感じる。自然の中で学ぶいろいろなこと。
自然の美しさや季節の移ろいはもちろんのこと、小さな虫は少し力を加えるだけで死んでしまうことを身をもって体感し、カマキリや蜘蛛が獲物を仕留めて食べている様子を見て感じた、あの命の儚さと恐ろしさ。それが当たり前なことなんだと頭じゃなく体験を通して知る。
もちろんわたしと同世代の人で都会育ちな人もたくさんいるから、必須なことではないとわかってはいるけど、幼い頃の自然との触れ合いは今でも特別なものとして残っているから、どうしても。
とはいえ、生活するには不便な場所だったこともあり、今住んでいる街の便利さたるや快適すぎて、どこかに移住する?と考えても現実的じゃない。街の雰囲気自体も気に入っていることもあって。
公園や庭先で咲いている植物や、空の色や季節の移ろい、小さな動物たちの気配を見つけては彼に伝えている日々。
なるべく長期の休みは自然が多い場所へ出かけたり、旅行をしたりして、少しでも自然の中に身を置くことができるようにしていけたらなと思っています。朝夕にゆっくり2人で散歩に出るだけでも楽しいはず。
今ある環境で、どうしたらより素敵に過ごすことができるか。子ども時代の話をせがまれるたびに、いろいろと考えさせられる。
彼が大人になった時、ひとつでも多くのキラキラとした思い出が残っていて欲しいもの。