今朝は生理2日目でさすがに身体が重くて、「今日は歩かへんぞ…」と起きた瞬間は思っていたのに、息子を見送るために外に出たら雨上がりの空気が気持ち良くって。結局10分くらい近所をぶらぶらしてきた。
昨日「明確な目標を立てていないから続いてる」と書いたけど、わたしが毎朝しているのはウォーキングじゃなくて散歩だなと改めて。
日々移り変わる空気の匂いや植物、空の色を眺めながら、ただただ気ままに歩く。それが自分を癒してくれている。
自然がたっぷりある場所で育ち、学校生活がつらくても、行き帰りで見る色鮮やかな自然や季節ごとの変化が幼い自分を救ってくれていたのを思い出す。
今は都会でも田舎でもないちょうど良い便利な街に住んで、すっかり自然に触れる機会が減ったと思っていたけれど…街の中にも自然はちゃんとあって、季節ごとにたくさんのものを与えてくれる。
毎朝きれいな声で鳴く小鳥がいて、ずっと声しか聞こえず姿を探せなかったのだけど、今朝ようやく電線の上で鳴いている姿を発見!思っていたよりも小さかった。名前が知りたい。
ここで書くことも、朝の散歩に似ている。
明確な目的も目標もない。ただ、静かに書ける場所が欲しかった。
2022年ごろから段々と外に向けて書くことが重く感じるようになり、もともといた場所から新たな居場所を作るために個人サイトを作った。そりゃもう大変な作業だった。
でもいざ作ってみたら、web周りの管理と手間がめんどくさすぎて、あちゃーこれ全然楽しくないかも?とわかった。(なんでも実際にやってみないとわからない)
これまでネット上で1つのペンネームを使ってある程度の年数、文章を書いて来たものだから、いつの間にか「自分はこういうイメージなんだろうな」という像ができあがってしまった。
葛藤を抱えていて、生きづらいけどなんか前向きな人?
その生きづらさを発信する人。
繊細な人。優しい人。温かい人。不器用で気をつかう人…
もちろんこれらはわたしの中にあって、間違っちゃいない。それはそうなんだけど、でも、それだけがわたしじゃない。
ネット上で見せている部分はほんの一部。それは誰しもがそう。いくら超絶オープンにしているように見える人だって、100%をさらけ出しているわけじゃない。
いつの間にか出来たイメージを通して誰かに見られていること、そのイメージをかぶったまま発信し続けること。そのどちらにも、ちょっと疲れてしまった。
だから今ここで書いているのは、ある種の転地療法のようなものだと思う。
静かで、ざわざわしていなくて、空気が澄んでいる場所でしばらく過ごせば、もしかしたらまた戻ろうと思えるかもしれない。
そう思えなければ、それはその時。
また新たな方法や道を探せば良いのだと考え中。