誰かの常識

宮崎笑子
·

 誰かにとって当たり前のことは、誰かにとって当たり前ではない。

 そんな、当たり前のことに気づかされた。

 朝、イベント用の搬入荷物をコンビニで発送して来た。少し背の高い、カブトムシみたいな箱を使った。

 対応してくれたのは、年齢がいまいち分からないなんとなくもったりとしたおにいさん。片方の口角だけが上がる笑みを浮かべ、配送処理を進めてくれる。

 まずは外寸を測って箱サイズを出す。それをしないとコンビニ側の伝票が作れないからね。

 おにいさんは、底側の真ん中くらいからピーっとメジャーを伸ばして高さを測り、次に長い辺を測り、最後にまたピーっと高さを測って、120……と呟く。そして次にスケールに乗せるのだが、待て、わたしもピーっとやっていいか? 審判の笛を。

 日記をほんのわずかさかのぼってみてほしい。少し背の高いカブトムシのような箱を使ったのだ、わたしは。短辺、長辺、高さを測ってせいぜい100サイズだろうと検討をつけて持ち込んでいるのだ、わたしは。

耐え切れず、進言する。

「あの……測るところが違うと思います」

「え?」

「こうですよ」

 と、手で測るべき三辺を示すと、おにいさんは目をしょぼしょぼとさせたあとで、もう一度、高さと長辺と高さを測った。え、なんで?

 三回くらい説明すると、「あっ、そうなんですね」とご納得いただけたが、このおにいさん、もしかして今までもそうして三辺に差がある荷物を犠牲にしてきたのではないだろうか。と疑念がわく。

 ひょっとしたら、研修中のマークはつけていなかったけど、研修中だったのかもしれない。すべての動作が丁寧で、いや、誤解を恐れず言えば遅くて(誤解もなんもないねん)、レジですでに少し列に並んだのに、荷物を預けてから店を出るまでに五分以上かかった。伝票も記入して貼付済みだったにもかかわらず。

 ふつうに生きていれば、配送時の箱サイズは短辺と長辺と高さを測るものだと知っていそうなものだが、それはわたしの常識の世界観であって、おにいさんはきっと今まで三辺の長さを、コンビニで働き始めるまで測ったこともなければ測られたこともないのかもしれない。

 そして、そうした人は当然、世の中にたくさんいるのかもしれない。

 わたしが当たり前のように知り、話し、行動することを、他の人はできないと言うよりまずやろうとも思わないかもしれないし、逆もしかりで。

 今回はちょうど手元に未使用伝票があったのと、面倒くさくてネットで伝票を出すのを渋ったのが敗因だが、今度からはちゃんとネットで伝票作成しよう。そうすれば、おにいさんは三辺を慌てて測る必要はないし、わたしも受付が一分とかで済む。

 便利なことは、winwinの世の中なのだ。そうか?

@castone
まだ見ぬ大騒ぎを待ちながらものを書く人。小説HP : nanos.jp/castone