このあいだみた、夢の話をしましょう。
神様(とわたしが認識していた)と地面に棒きれで落書きをするような遊びをしていた。
わたしがまるを描くと神様はさんかくを描く、わたしがさんかくを描くと神様はしかくを描く、わたしがしかくを描くと神様はまるを描く、その組み合わせの繰り返しを続けて、何やら向こうさんが得意げなので、わたしは夢ながら「ああこれはじゃんけんで、必ずわたしが負ける図形を選んでいるんだな」と気がついていた。
気がついていたしどこからどう見ても後出しじゃんけんなんだけど、別にペナルティもないし好きにさせていた。
そうして遊んでいると突然神様が、「サイコロをね、振るか振らないかで悩んでいる」という趣旨の相談を持ち掛けてきた。
わたしは、神はサイコロを振らないとアインシュタインが断言したことを知っていたので、振らないほうがいいと思うなとは考えつつ、それでもアドバイスを欲しそうにしていたので答えてやった。
「振りたかったら振ればいい。好きにしたらいい」
神様にも自主性は必要だし、人に言われたから振るとか振らないみたいな決め方はやめなよ、と言ったのだ。
すると神様は、なんだか怒った。
「じゃあきみは、人を殺したいと思ったとき、殺してしまうのか」
そのときわたしは、神様にとってサイコロを振る振らないという決断は、人間にとって気に入らない人間を殺す殺さないの決断みたいな、けっこう重めのものなのかな、と思った。
いや待てよ。
重めのと言うより、人間界隈で「人を殺す」ことが違法とされている反倫理的な行為であるように、神様界隈では「サイコロを振る」はけっこうな禁忌なのかもしれない。
だってアインシュタインも振らないって断言してたし。
結局、夢の中で神はサイコロを振らないまま終わったが、結局そのあと振ったかどうかまでは分からない。
目が覚めたときにまず思ったのは、「一緒に地面に絵描いて遊んでるとなりの人を“神様”って認識する夢とはなんなんだ」であった。
曲がりなりにも神様なら人に助言を求めんなだし、よく考えたら「サイコロを振る」を「人を殺す」になぞらえたわりに相談してきたってことは絶対サイコロを振りたがってたな~、もしかしてアイツ、ヤバい神様だったのかもしれんな~と思ったりもした。
そして、そういえば「サイコロを振る」という二字熟語ってないよな~と思ったりもした。「人を殺す」で「殺人」みたいなそういう二字熟語、あるんかな~。探せばあるかもな~。日本って広いし~。
こんな夢をみたのはきっと、前日に「神は結局サイコロを振っているのか否か」という調べ物をしていたからなんであろうが(書いている作品のモチーフとして使いたかった)、まあ、それこそ、神のみぞ知る、といったところなのであろう。