邪馬台国に関する私見

catatsuy
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邪馬台国に関する現在の私見をメモ程度に書いておく。

昔は邪馬台国は九州北部にあると考えていた。理由としてはざっくり以下のものがある。

  • 魏志倭人伝には九州の名族菊池氏を思わせる菊池彦と思われる人物が出てきたり、狗奴国は熊襲と考えると理解しやすい

    • 基本的に九州の話と考えられる

  • 魏には邪馬台国が大国だと偽装する動機があり(近隣諸国と戦争中であり、大国が朝貢してきていると主張することに意義がある)、必要以上に遠くの国としたことが説明できる

    • 一般的に距離が間違えているとするのが九州説、方角が間違えているとするのが大和説

  • 記紀では邪馬台国に該当しそうな時期に女性が政治を担ったとする記述はなく、卑弥呼に該当しそうな人物がいない

    • 後世には初代の女帝という説がある飯豊青皇女がいるが、卑弥呼とは時代が異なる

なので邪馬台国は大和朝廷に滅ぼされた九州の国だと考えてきた。

しかし現在では邪馬台国は大和朝廷の古代の姿ではないかと考えている。根拠は以下の通り。

  • 邪馬台は当時の中国語の発音を考えるとヤマトという発音だったと考えられ、大和朝廷と無関係だったとは思われない

    • その場合、狗奴国はどこのことなのかという問題は残る

  • 時代は下るが、元々中国は日本列島の形を勘違いしており、南に延びていたと考えていたようで方角が間違えている可能性が高い

    • 古代日本語に区別がなかったという説もある模様

  • 当時の中国側の役人をだませたとは思えず、実際には九州周辺しか領有していない国ならば親魏倭王ではなく、漢委奴国王のように倭の中の奴国であることが明記されていたはず

    • 九州から大和まで支配が及んでいたからこそ、親魏倭王印がもらえたと考えるべき

  • 後世の中国の歴史書に残っている日本の話を見ると中国側は日本に対して興味はなく、他の国と取り違えた記述や勘違いした記述が多く見られる。魏志倭人伝だけ正確に書かれているとは全く思えない

    • 例えば後世の隋書倭国伝では推古天皇の時代のはずが、男王とされており、姓はアメで名はタリシヒコとされている。本来王ではない人を王だと勘違いする程度には興味がないと思われる

    • 旧唐書では倭国と日本国が別の国で日本国が倭国を吸収したとする記述もあるし、宋史日本伝(元に負けた有名な宋の方)ではサイ・ゾウがいるとする記述もあるので、魏志倭人伝の記述もそのレベルの認識で書かれていると考えるべき

  • 日本書紀では卑弥呼は神功皇后のこととされているので、日本書紀編纂者は邪馬台国のことを知っていて、大和朝廷のことの話が書かれていることを認識していたはず

    • しかし神功皇后と関連付けている件は明らかに後付けで、おそらく日本書紀編纂者もどの時代に相当するのか分からずに混乱していたことが容易に想像できる

    • 当時の中国語の発音は今よりも魏志倭人伝の時代に近かったはずで、邪馬台国の発音がヤマトであることを知っていた可能性もある

    • 大和朝廷は邪馬台国は古代の大和朝廷であることを知りつつも、魏志倭人伝の記述がめちゃくちゃすぎてどの時代と対応するのか分からなかったと思われる

  • 崇神天皇の時代に天然痘が流行していたことが日本書紀に記述されている。このことは大神神社の成立に繋がる説話だが、そもそも天然痘が日本にやってきたということは、海外との交流、特に人口が多い中国の国との交流が多かった証拠である可能性がある

    • 崇神天皇前後に魏と交流があって天然痘が入り込んできたと考えられる可能性はある

    • 日本書紀には朝鮮半島の国との交流は多く記述があるが、魏と交流があったとする記述はない。中国に対して朝貢していた事実を隠したくて歴史書に残さなかった可能性がある

    • 宋書(古代に出てくる宋で中世の宋とは異なる)の倭の五王についても日本書紀などに記述はないし、遣隋使も初回は日本書紀に記述がない

    • 初回の遣隋使に関しては大和朝廷ではない勢力が僭称したとする説があるが、それはありえない。中国側をだませたとは思えないし、冠位十二階などの記述もあり、大和朝廷以外の勢力が回答したとは思えない

    • 倭の五王も他の勢力が僭称したとする説があるが、それも同様の理由であり得ない

大和朝廷と邪馬台国が同じだという前提で考えると、考えなければならないことがいくつもある。

  • 卑弥呼ほどの権力者が日本書紀に記述がないとは思えないので、どこかに記述があるはず

    • 箸墓古墳に葬られている倭迹迹日百襲媛命説がよく言われるが、天皇よりも権力を握っていたとは思えず、また墓のサイズや形が前方後円墳の箸墓古墳に合わない

    • 後継者の台与と思われる人物が日本書紀には出てこず、何の話をしているのか不明

  • 三角縁神獣鏡は魏が倭国のために作った専用の鏡なのか、国産なのか

    • 中国国内では三角縁神獣鏡は発掘されておらず、どこで作られたのかが不明で、どこで作られたのかが分かれば古代史の謎が一気に解決する可能性も秘める

    • 鉄の成分の分析もされているので、今後分かる可能性はあるし、中国国内で三角縁神獣鏡の鋳型が発見されれば決まりではある

    • 枚数がさすがに多すぎるので国産も混ざっている可能性が高く、すべて国産かオリジナルが中国産かという話になりそうではある

これらの謎が解ける日も遠くはないと思っているので、みんなで考えていきましょう。