日本の古代史研究で注目している3つのこと

catatsuy
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日本の古代史が好きだという話をすると「謎が多いのでは?」とか「結局謎は解けないのでは?」という話を聞くことがあります。

確かに昔はそういう部分もありましたが、最近は様々な知見が活かされて謎が解けつつあると感じます。個人的に注目している内容を軽く書いておきます。

なおここに書かれている説はあくまでも一説であり、私の個人的な意見であることを強調しておきます。それとサラッと書いただけなのでサラッと読んでもらえたら嬉しいです。

DNA研究

最近古代人のDNA研究が進んでいます。少し前まで論争になっていた現生人類とネアンデルタール人との混血についてはDNAの調査により混血していたという結論が出たことは記憶に新しいです。

この手法が使えるようになったのはコロナウィルスで話題になったPCR技術でDNAを増幅できるようになったことが大きいです。

DNA研究が進む前は骨の形から何となく類推するしかありませんでした。骨の形から類推された有名な説として二重構造モデルで、原住民である縄文人が住んでいた日本列島に朝鮮半島南部からやってきた弥生人が混血したというシナリオです。このシナリオは現在でもほぼ定説であり、最新のDNA研究によっても否定されたわけではありません。ただDNA研究により実際にはこんなに単純なものではなかったことが判明してきています。やはり骨の形では限界があったということです。

まだ世界中の古代人のDNA研究が進んでいるわけではないので、まだ分かっていない部分も多いです。しかし人類以外にもコメなどの植物や動物のDNA調査も進んでいます。これによりコメの伝播ルートや人類の流れがかなり正確に分かるはずです。そうすれば現在謎と呼ばれていることの大部分が解ける未来があります。

比較言語学

DNA研究と並行で比較言語学の調査も進んでいます。そもそも言語とDNAは全く同じ流れにはなりません。その証拠に過去植民地とされた地域は短期間に言語に変化が起こっています。当然そんな短期間にDNAに変化は現れません。DNAと言語に大きな乖離がある代表的な例です。

しかし言語の比較によりDNAには現れない人の交流が明らかになる可能性もあります。また古代文献に書かれている内容が更に解ける可能性が高まります。具体例を言えば、邪馬台国の場所については古代中国語と古代日本語の発音が分かればかなり正確に分かるのではないかと思っています。邪馬台国の場所は古代史のロマンだという人もいますが、自分はロマンでも何でもなく、現実的に解けるのも時間の問題だと思っています。

比較言語学の研究が進んでいる理由としては、文献が多く残っているヨーロッパを中心に研究が進み、言語の変化には必ず法則性があることが見えてきたことがあります。適当になまったと表現されることがありますが、なまりというのは法則性があり、適当になまるということはありません。

つまりなまりの法則性が分かれば、文献が残っていない古代語の復元が可能ということです。

日本語は近縁の言語が分からず、孤立語だと言われることもありますが、これは誤りです。日本語が孤立語に見えるのは日本語の文献は非常に多いですが、近縁の言語である琉球語は記録が少なく、近縁の可能性がある古代朝鮮語の文献がかなり少ないことが理由です。現在の朝鮮語は元々新羅で話されていた言葉の末裔とされており、実際に朝鮮で話されていた言語は他にも多数あったと言われています。そしてツングース系と言われる高句麗や王族が高句麗系の百済などの言語はほとんど伝わっていません。古代朝鮮の地名から高句麗・百済で日本語と近縁の言語が話されていた可能性が指摘されており、研究が進めば日本語が孤立語でないことが証明される可能性もあります。

そしてこの言語の研究もDNA研究が進むことで更に進む可能性が高いです。DNA研究により、日本人のルーツが現在の満州、ツングース系の民族との関係が明らかにされつつあります。もしそうであれば、当然言語のルーツもそこにあった可能性があります。

天皇陵発掘調査

考古学研究が進んでいますが、最も重要な古墳である天皇陵の調査が宮内庁により禁止にされている現状では中途半端な研究しかできません。

現在DNA調査は古墳にも適用されており、古墳の埋葬者の近縁関係も明らかになりつつあります。この手法を天皇陵に適用すれば天皇陵の比定もできますし、天皇同士の関係性も分かります。

日本書紀・古事記では神武天皇から日本武尊の父親の景行天皇まですべて父子による継承です。しかし継体天皇の息子は3兄弟での継承になるなど、後世には兄弟継承が行われるようになります。

継体天皇で王朝が交代したという説もあり、継体天皇のタイミングで兄弟継承に変わったとする説もありますが、実際には雄略天皇の少し前から兄弟継承の例はいくつか見られます。宋書などの記述で倭の五王について書かれていますが、日本書紀などの系図とは異なっていることから、雄略天皇=武以外の比定以外は進んでいません。しかしこれについては実際には兄弟継承だったのに、系図が残っていないケースを親子継承にした可能性が高いと思っています。そうであれば暦の変更などがあり、歴史記録にも画期を起こした可能性が高い雄略天皇前後から兄弟継承が増えたように見える理由が説明できます。

これも天皇陵の比定とDNA調査が進めば多くの天皇の血縁関係が明らかになり、実際の系図も正確に分かるはずです。そして大和朝廷の成立もかなり正確に分かってくるでしょう。

最後に

これらのことが自分が生きている間にどこまで進むか分かりません。しかし自分が死ぬまでに研究が進んで欲しいと強く願っています。