1年ごとにテーマを設定するといいらしいことが、僕調べでわかった。
2022年は"無害にある"であった。誰にも苦にされないように振る舞いたかった。自分と一緒にいる人に迷惑をかけているんじゃないかと思い、萎縮することが多かったからである。通院をしっかりして、良好な健康状態を保ち、会話の際の基本的な振る舞いを改善することに努めた。決めつけたりしないとか、否定から入らないとかそんな基本中の基本である。
2023年は"有益になる"と"いい人間のふりをする"であった。
"有益になる"というのはわりかし単純である。つまり、自分に求められていることをこなすだけで良い。仕事もそういった側面があるのだが、最近は在宅勤務続きで自己貢献感がまるで感じられなかった。そこで仕事以外でボランティアを探すことにした。
具体的には、ガイドヘルパー(気になる方は調べてほしい)のボランティア、フィリピンのスラムに行く1週間のボランティア、保護猫カフェのボランティアに参加した。仕事を変えるまでの度胸がなかったし、副業に関連する申請とかを考えるといろいろ面倒そうなので無報酬のボランティアが好都合だったのだ。
"いい人間のふりをする"というのは"有益になる"に近いが、趣旨が少し違う。自分はいい人間になりたいのだが、その方法がわからない。そこで「いい人間とはなにか?」を考えたときに、ダックタイピング的なアプローチでよいのではないかと思いついたのである。ダックタイピングがわからない人は調べてほしいが「いい人間の振る舞いをする人はいい人だ」という雑な理解で十分だろう。自分は思ってもいないことを口に出したり、やりたくないことを嫌々やるのは嫌いで、もっというならば精神が削られ、心身ともに疲弊して寝込んでしまう質である。そこで、そういうゲームなのだと割り切ることにしたのだ。自分は以下のような雑な仮説を立てた。「人間は、先天的にいい人間として生まれてくるとは考えにくい。いい人間は後天的に良いとされる言動を身に着ける。その過程で考え方が変わる」のだと。小難しく記述したが、要はとりあえず行動だけ真似ればいい。たとえ背面腹背であっても後ろめたさを感じる必要なんてないのだと自分を説得したのである。
どうも文章構成が下手くそだ。
とりあえず、2024年の目標は決めてある。それは"友達甲斐のある人間になる"である。これは一体何かというと「友人を増やしたいのだが、方法がわからない。いま友人が少ないということはいままで取ってきた言動が良くなかったのだ」という考えに端を発している。だから、"いい人間のふりをする"と同様に、まずは"友達としていいやつだなあ"と思う人間を考えて、物真似をすることにした。物真似でもやっているうちにそれっぽく見えてきて、考え方も変わってくるんじゃないかと思われる。また、そろそろ一人に飽きたからパートナーがほしいが、その方法がわからないからまずは友達の層を増やしておこうという下心も含まれている。
この文章を読んでくれた奇特な方に期待するのは、適切な指導とツッコミである。僕の物真似を「なっとらん」とか「下手くそ」とか「こうしたほうがもっとそれっぽいよ」とか教えてほしい。
反対に期待していないのは「心にもないことを言うんじゃない」とか「お前には素質がない」といった意見である。なぜなら、僕は心にもないことを言う覚悟を固めているし、素質がないことを知っているからだ。ビートたけしの物真似をする人に対して「ビートたけしはそういう考え方をしない」とか「お前はビートたけしになる素質がない」というようなことを言うのは野暮というものだ。単に「下手くそ!似てねえぞ!」だけでいい。
つまり「『まなぶ』は『まねぶ』であり、『まねぶ』とは『まねる』という意味。学習とは模倣なのだ」みたいなことなんだけど、この表現どこか金八先生っぽくて説教臭くて語学の教養あるアピールがぷんぷん漂ってくるクリシェでしゃらくさい。
そう思うだろ、あんたも?