自分の意見を言っても通らないことってよくある。でも、それはそれで面白いよなと思ったりしている。通らないことが分かっていても言ったりする
そのとき通らなかった「自分はこう考えている」は、それを聞いてくれた人のまわりの空気中をゆらゆら漂って
なにかのタイミングで「そういえばあの人はこういうことを言ってたな」と、それがきっかけで別の何かにつながったりする
「この前はあの人の意見を通さなかったからな…」と次の意見をちょっとこっちよりで聞いてくれたりする
自分がそんな意見を言った事自体が、他の人の何かに影響を与えていたりする
その場で意見が通るかどうかにももちろん興味があるんだけど、その場で通らなかった意見が時間差でどんな風に自分の周りに、そして自分に影響を与えるのかにも、同じくらいに興味がある
ちょっと違う話ではあるけど、後輩に僕のやり方の何かを見てもらって、今はまだすべてが伝わるわけではないとしても、それでいいと思っていたりする
全部ではなくても、何かしらを見つけ出してくれてるだろうし、それ以外の部分も何年か後に何かのきっかけで「あーあのときのあれはこういうことだったのかー」ってなったら、それはとても嬉しい
そんなふうに、その場で何もかもがうまくいく、というわけではなくてもいいよなって思って過ごしている。そのうまくいかなかった部分は、ゆらゆらしてどこかのタイミングで形を変えて、僕の考えもしなかった形で何かにつながったりする
大切にしたいのは、その場でうまくいく確率を上げるよりも、たくさん種を蒔くほうだなって思っている。そのほうが、芽はたくさんでる