「めんどくさい」は仕事の判断の中には入ってこない

cba
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「Lazinessは、エンジニアの美徳だ」みたいに言われるし、手間がかかる仕事を自動化したりするのは好きなのだけど、「めんどくさいから」は自分の仕事の判断の中には入ってこない。

チーム内で相談したりする大きな判断に持ち込むことがないのは当然そうだけど、個人で日常的にしている小さな判断でも持ち込んでないと思う。

単調な作業に対して「めんどくさい」という気持ちはもちろん自分にも出てくる。ただ、それが仕事をするときの判断に入ってくることはないってだけ。判断に入ってくるのは「それでどうなるか」のほう。

「めんどくさい」作業をすることによって何が問題になるのか、その作業を自動化したりすることによってどんな問題が解決するのか。判断に使うのはそういうほう。

例えば、手間のかかる手作業があったとして「めんどくさい」から自動化しよう、にはあんまりならない。「このままだと毎回同じ手作業を繰り返すことになる」とか「手作業だとミスのリスクがある」→だから自動化しよう、かな。いっかいきりの作業だったら淡々とやるのも全然ありだなって思う。

そんなわけで、仕事中に自分が「めんどくさい」って言葉を発することはあんまりない(と思ってる)。そして、誰かが「めんどくさいから、こうしよう」みたいな言葉を発したときは、とても興味深いので深掘りして聞いてしまう。

「めんどくさい」だけだと「なにが問題なのか」「それを解決するとどうなるのか」がはっきりしなくて、その裏にはその言葉を発した本人も気づいていないことが隠れてたりするから。

「めんどくさい」は仕事の判断の中には入ってこない、というお話でした。僕が仕事中に「これは、めんどくさい作業だなぁ」って思ったときには、頭の中の咳さんが「だって、仕事でしょ?」って言ってくるから「そですね」って言って始める。