(初出:2025年8月20日にXへ連続投稿。その後加筆修正)
田川市美術館で
台湾のアーティスト、陳擎耀の日本初個展《開戦84年 陳擎耀 チェン チンヤオ展:戦争と美術》を観た。

「終戦80年」の年に「開戦84年」を掲げる、という時点で、先の戦争の語られ方は関わった地域の数だけあるのだ……という、ある大きな出来事に関するナラティブの複数性を意識させられる。戦争に関する資料(台湾側のリサーチャーによるものらしい)と、新作も含めた映像作品を特に面白く鑑賞した。
この作家の作品は前にArtist Cafe Fukuokaでやっていた展示で見たことがある。
それは戦時中の台湾女性の姿を同時代的に描いた台湾の女性画家・陳進(1907-1998)の画を、あえて映像で再現し、しかもその設定を現代の台湾にするという(そこから現代の台湾も潜在的に「戦時」であることが強く示唆される)作品だった。
日帝の戦時中プロパガンダの系譜にあった「戦争画」と、現代の台湾の政治的状況を交錯させる、そしてそれをつなぐのは絵画における女性表象。この手法によって異なる時間・空間を召喚し、流転する政治的状況と国民アイデンティティに翻弄される台湾の状況を作品化するという、なるほどなと思った。
ただ今回の個展ではそれに加えて、日本の戦争画の構図を引用して、自動小銃などをもった「AK47少女」たちが大判の絵画のなかで戯れるように争うという連作があった。なにこれ……?どういうこと……?
(以下の2作品《神兵降下台北》《那個島(あの島)玉碎》はそれぞれ鶴田吾郎《神兵パレンバンに降下す》藤田嗣治《アッツ島玉砕》の構図を引用したものである)
(ちなみにどちらも元ネタの絵はいま東京国立近代美術館の企画展《コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ》で観ることができる)


以下の作家の言葉を読むに、これは儒教と民族主義的国家概念によって形作られた抑圧的な東アジアの状況をアイロニカルなユーモアで表現したものだ……ということらしい。
「東アジアの国々は、千年に及ぶ儒教の伝統と19世紀の近代民族主義国家的概念の二重の影響のもとで、システムと組織を特に重んじてきた。誰もが社会の封建的なシステムの中で決められた役割を、適切かつ地道に演じなくてはならず、当然そこに現れる個性的特徴はすべて消し去らなくてはならない」
「だからこそ朝になって軽快なラジオ体操の音楽が流れて来ると、私たちは知らず知らずのうちに手足を動かしてしまう。だからこそ私たちが追いかける韓国のアイドルグループは美容整形や化粧や髪型のせいでみな同じように見え、AKBやHKTやNMBなどの、メンバーが限りなく増殖していく、まるで軍隊のような大編成の美少女アイドルグループが登場するのである」
ただこれ、理屈はわかるのだがけっこう実際に見るとギョッとするし(すげ~生々しい質感で精細に描かれた女子高生ばっかりだから)、アイドル好きな人間としてはいうてでも個性ないと生き残れないよ……実際には長くやってればみんな個性が生まれてくるもんだよ……化粧も髪型も流行りはあっても普通に見分けはつくし……と思ったのも事実だったり。2010年代半ばぐらいにこういう「アイドル≒画一化」論が流行ったなと。
もちろん世間でそう思われていることもわかっているし、業界がなんの問題もなくクリーンであるというつもりもないが、オタクとしての実感からするとちょっとズレる。アイドル産業にまつわる諸々をそういう文脈で作品化したいなら、サバ番を引用するのがいいのでは?と正直思う……でもたぶんあの画のちょっと異様な雰囲気って、自分の好きを経由しつつも人物造形のレベルではフラットめな出力に徹してるから生まれるんだろうと思うと、業を感じるものがあった。サバ番を引用すればええって発想は、話としてロジック通っているだけで、制作上の感覚としてはズレるのだろうな……
ちなみに作家さんはガルパンも好きらしく、AKBも応援した経験があるらしいので、単純にサブカル的なおもしろさとしての戦闘+ミリタリー+美少女が好きなのでは……?ともちょっと。でも戦争画の引用をはじめ美術としてのロジックは通ってるから、そういう自身の欲望も射程に含めて権力構造の産物として諷刺していると言われればまあそうなのかもとも思ったりはする。こういう手法(狙いが同じなわけではないが)の日本の美術もけっこうあるしな……
また、戦争資料関連の展示として、戦時中の少年向け出版物『少年倶楽部』の付録としてついてきた紙の模型が制作展示されているのだが、それがすごく精巧で魅力的な造形であった(付録としては力が入りすぎている)ことになんだかゾッとしてしまった。

戦後のポップカルチャーのなかにも受け継がれてきた、兵器とか飛行機の造形がかっこいいとか、軍事用語の響きに厨二的な魅惑を感じるとか、感覚的な快さもまた戦前の子どもたちは私の子ども時代と同じように感じていたんだなという、当たり前のことを認識したというか。そしてそれは戦時中の大人たちによって、当然のごとくプロパガンダに利用されていたとを突きつけられた感があるというか……特撮もそれなりに好きな人間なので、ここは自分の子ども時代を思い出してけっこう喰らった。「モノのもつ美を敏感に感じ取り快く思う」という心の動きが、趣味の領域に留まることができなくなるのが戦争なんだろうなと感じた。
ミリタリーやファッション(映像作品に出てくる服とか自作したりしているらしい)のディテールや質感に細かく気を配るタイプの作家ということもあり、このセクションのインパクトはかなり強烈なものがあった。
あと別室でずっと「肉弾三勇士の歌」が流れていたのもきつかった……これには『珈琲時光』でも有名な、台湾出身の作曲家・声楽家である江文也が歌手として関わっていたという逸話があるそうな。



宮崎駿『風立ちぬ』じゃないが、そういう「素朴な」感覚が動員の道具にされていたっていうところに、反射的に悍ましさを感じる。そしてこの資料を集めて作品化し再生させるという作業を台湾の作家がやっているところが重要だなとも思う。
平時の生活の中に「戦争」が埋め込まれている、台湾からのある意味での告発としても解釈できるなと思った。またそれはもちろん韓国と北朝鮮も同じであって……この展示を私がいま「安全地帯」で鑑賞しているということも含め、ゾワゾワとした居心地の悪さを感じた。
「大東亜共栄圏」の樹立のために行われた概念操作を、東アジアの戦後文化まで取り込みながら台湾から反射させ、なおも戦争の記憶や影響が根深く存在し続けるこの地域の”いま“の感覚に迫ろうとするっていう、夏に観るのにふさわしい展示だったと思う。31日まで。


あとこの作家さんの作品、東京・神楽坂のeitoeikoでも8月23日(土)まで展示されているそう。
田川市美術館の個展でも印象的だった映像作品も見れるそうなので、今週行ける方はぜひお見逃しなく……
チェン・チンヤオ(陳擎耀) 《戦場の女》
開催時間 12:00-19:00
住所 新宿区矢来町32-2
料金 無料