広島に日帰りで行ってきた。

cementthing
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公開:2025/9/21

まだまだ暑い先月の24日、広島へ日帰りで行ってきた。

数えていないが広島に行くのはこれでたぶん4-5回目になる。

コロナ後に東京から福岡に戻るまで、広島にはあまり行ったことはなかった。中学生の時に修学旅行で平和記念資料館に立ち寄った記憶はあるけれど、正直あまり覚えていない。けれど広島市現代美術館が面白い展示を定期的にやっているということで、何度か通っているうちに、だんだん街自体が好きになってきた。

学生時代に住んだ京都もそうだけれど、川が街の中心部にいくつも通っているのがいい。西から太田川放水路。天満川に旧太田川(本川)。元安川に京橋川。そして最後に猿猴川。

街をぶらぶらと歩いていると、ここが三角州の上に築かれた街なのだとすぐわかる。どこにいても水と緑が豊かな場所へ簡単に行けるのだ。

広島の川の上に架かる橋とその周辺の都市景観。橋は車両と歩行者が行き交い、両側には緑豊かな木々が茂る。橋の背後には、さまざまな高さの建物が立ち並び、淡いピンク、灰色、ベージュなどの色合いで構成された現代的な市街地が広がる。川面は周囲の景色を鮮やかに映し、澄んだ青空の下で穏やかな雰囲気を醸し出している。

なんとなく散策するだけでも楽しい場所だ。おともにはコーヒーがいいかもしれない。

そう、これも行くまで知らかったが、広島には気の利いたカフェがいろいろとある。浅煎りが好きな私のお気に入りは「Shimaji Coffee」系列(広島駅周辺に3店舗)。三茶によく行く人ならおなじみの「OBSCURA COFFEE ROASTERS」も広島に4店舗を展開している。平和公園からすぐの川沿いにある「ARCHIVE COFFEE ROASTERS」もよかった。

歴史ある喫茶店も多い。モーニングサービスの発祥の地については諸説あるが、そのなかで最も古い部類に入る1955年頃に提供を開始したのが鷹野橋商店街の「ルーエ ぶらじる」 だ。

実際に行ってみると店内には観光客や地元の方でにぎわっていて、長年愛されているお店なのだなということが伝わってきた。お店の歴史について、会計時に従業員の方が丁寧に説明してくださったのが印象深い。

他には大手町のツバイG線もよかったし、宝町のてらにし珈琲店にも行ってみたい。ちょっと変わったところでは、音楽喫茶・ギャラリーのヲルガン座もあったり。

また観光客として嬉しいのが、こういうスポットが中心部に密集していることだ。主要な名所史跡、美術館、飲食店の多くは徒歩で回れる。平和記念公園から歩いて15分ぐらいの場所にNEUTという素敵なシャルキュトリーとワインのお店があるのだが、そこでお店の方と話したとき、ここは少し繁華街から離れていて……というようなことを仰っていて、歩いてこれるぐらいの距離で!?と驚いた記憶がある。それぐらい中心部でほとんどの用事が済んでしまうのだ。

ちなみに交通手段としてはバスや路面電車、シェアサイクルもあるので、効率よく移動できてあまりストレスがない。ただ広島市現代美術館は、比治山という標高70mほどの山の中腹にあるので、登るのが毎回大変なのだが……しかも道も入り組んでいて迷子になりがち。今回ようやく迷わずに登ることができて、自分の成長を実感した。

閑話休題。

今回広島に来たのは戦争関連の展示を見るためである。戦後80年ということもあり、この夏は全国で戦争を扱った意欲的な展示が行われている。そのなかでも特に話題を集めていたのが東京国立近代美術館・長崎県美術館・広島市現代美術館で、そのどれかに行こうと思って、広島にしたというわけだ。

ただ、現地に着くまで知らなかったのだけれど、広島県立美術館でも戦争について扱ったコレクション展をやっているらしい。というわけで、企画展《ハッチポッチ 藤枝リュウジの世界》を覗いたあとで(子ども時代の思い出が蘇って楽しい展示だった)、所蔵作品展《第2期サマーミュージアム 戦後80年 戦争と美術、美術と平和》へ。

美術館の展示案内(企画展とコレクション展)が記載された2つのポスター。

てっきり戦中の作品が中心になっているのかと思っていたが、そういうわけではなく、戦前~戦中~戦後と、長いスパンで戦争関連の作品が選ばれている。戦争の影が忍び寄るなか描かれたパウル・クレーやアリスティード・マイヨールの絵画。物資不足のなか、鋳造された作品。植民地化された大陸・朝鮮の「日常」を描いた絵画。戦争の影響をいろんな角度から探っていくような作品が並ぶ。

そのなかでも印象に残ったのは、広島県物産陳列館(現:原爆ドーム)関連の展示だった。この建物は戦前の広島を象徴するイベントであり、美術関連の大きな催し物も行われていたそうだ。プレスリリースの言葉を借りれば、「県内最大規模の展覧会であった広島県美術展や広島の美術史上で重要な芸州美術協会展等、多くの展覧会が開催され、都市の活気を反映するかのように旺盛な芸術運動が展開されていました」とのこと。

原爆ドームにも原爆投下以前の歴史があって、その当時あの建物は広島の人々と全く違った関係性を結んでいたのだ。目の前にあるものはさまざまな出来事のうえに成り立っていて、それらの水面下には記憶が層のように折り重なっている。そういうことは簡単に見逃されてしまうのだなと感じた。見ようとしなければわからないのだ。

それを再度意識させられたのが、最後の展示室にあった宮川啓五《太田川》である。

《太田川》は1927年、広島生まれの日本画家、宮川啓五による作品。被爆後に絵の道へ進んだ作家が、半世紀後(1999-2000)に手掛けた幅8メートルの大作だ。太田川の情景が描かれた巨大なパノラマに、戦前、戦中、原爆投下、戦後復興という時の流れが、春夏秋冬の季節の流れと重ね合わされる形で描かれる。20世紀の広島の記憶をひとつの絵で表現しようという、壮大な野心が伝わってくる作品だ。

この作品には春夏秋冬全て(それぞれの時代)がほぼ同じ比重で描かれている。原爆投下はこの地の記憶の一部だが、それでもってこの土地のすべてが語れるわけではない。原爆を真正面から描き、それを絵のなかにとどめつつも、それのみに還元されない「広島」の大きさも、この絵は表現している。

展示を観終わったあと、縮景園が原爆投下時に救護所・避難所になったという記録を紹介する小コーナーを見た。縮景園には多くの人が逃げ延びたが、そこで亡くなった人も多いとのこと。水を求めて園内の池に殺到した人々の遺体が、岸辺に沿って横たわっていた、という証言が記されていた。

そういえば、ASIAN FILM JOINT 2024のおかげで観れた映画『広島を上演する』も、そういう、注意していないと見逃してしまいそうなものに注目したオムニバス映画だった。はっきりとは目に見えなくても、残滓はそこかしこにあって響き合っている。この土地を歩きまわっているとそれがよくわかる。

縮景園を散策した。園内は世界中の観光客でいっぱいだった。私も前はここに綺麗な景色を楽しみにきていた。それはもちろん正しい。ここはまずもって、よく手入れされた見事な庭園なのだから。

庭園片隅に慰霊碑があった。たくさんのペットボトルが置かれている。ここへ水を飲みにきて、そのまま亡くなった人たちのためなのだろう。

縮景園の風景を示しています。静かな池が中央を流れ、両側には松やその他の緑豊かな木々が茂っている。池の縁には自然な石が配置され、草木が丁寧に手入れされている。 木々の間から青空が広がり、遠くには伝統的な建築物が見える。遊歩道が池沿いに続き、木製のフェンスが設置されている。 穏やかで自然豊かな環境で、伝統的な日本庭園の美しさが際立っている

私たちは簡単に知覚することのできない、複層的なもののうえで生きている。

手を合わせ、広島市現代美術館へと向かった。


広島市現代美術館ではコレクション展と、企画展《被爆80周年記念 記憶と物 ―モニュメント・ミュージアム・アーカイブ―》を見た。(終了済)

広島市現代美術館の外壁に掲げられた大きなポスター。ポスターには、記念碑と緑豊かな木々が背景に描かれている。タイトルは《被爆80周年記念 記憶と物 ―モニュメント・ミュージアム・アーカイブ―》で、2025年6月21日から9月15日まで開催される特別展を告知。

「本展は戦争や原爆の「記憶」と、美術作品をはじめとする「物」との関係をテーマとしています。当館の位置する比治山にかつてあった、戦中の銅像やその作り手、戦後に再建された像の例から、それらが関係した記憶の形成、忘却、再構成について考えます」と公式解説文にある通り、さまざまな角度から広島や戦争にまつわる記憶の継承について考える展示である。

構成としては「ヒロシマ」をテーマにした館所蔵のコレクションが、この企画に呼応して出品された現代アーティストたちの作品と呼応する……というもの。それぞれの作品がうまく交互に配置されていて、現代アーティストによる過去作品の再解釈と再文脈化……という営為が、「記憶の継承と再構築」という主題と重ね合わせられているように感じた。

それを一番よく表しているのが、入ってすぐのところにある《加藤友三郎元帥銅像》(1935)の写真複製だろう。海軍で名を挙げ、内閣総理大臣にまでなった加藤の銅像は、この美術館がある比治山に設置されていた。しかしそれは金属類回収令の流れで供出され、溶かされて戦争の道具になってしまう。それ以来、比治山には空になった台座と碑だけが残っているそうだ。

美術館の展示室に吊るされた大きな縦長のバナー。バナーには、《加藤友三郎元帥銅像》(1935)の写真がプリントされている。背景に木々がうっすらと見える。部屋には現代的な照明が施され、床は光沢のある灰色。左側には小さな台に置かれた彫刻と情報パネルが展示されている。

ちなみに彼の銅像は有志によって2008年に再建されたのだが、再建された彼の姿は雄々しく軍服に身を包んで……はおらず、軍縮会議に出席した時の姿が選ばれたのだそう。つまり、〈帝国日本の軍事的な象徴〉から、〈平和を希求した良心的政治家〉へ、イメージの再構築が行われたわけである。戦前と戦後という時代の違いによって、記憶も物も「解体」され、違うものに変わる。目の前の「もの」は、物理的現実とは別の、意味や文脈の領域において常に変化し流動し続けている。それは不断の動的なプロセスなのだ。

しかしこんな大きな銅像を作って、10年ももたずに供出させられてしまうというのも気の毒な話だなと思う……ところへと突っ込んでいくのが次のセクションである。

まずこの銅像を作った上田直次によるかわいいヤギの彫像。上田はむしろこのような非政治的な作品、特に「ヤギの名手」として有名だったそうで、こんな人がどういう気持ちで軍事協力をしたのだろう……とどうしても思ってしまう。

美術館の展示ケース内に置かれた上田直次による木彫りのヤギの彫刻。赤みがかった茶色の木材で作られており、角が曲がった力強いヤギが前足を少し上げて立っている姿を表現。体躯は筋肉質でダイナミックに彫り込まれ、ベース部分には漢字の署名が刻まれている。背景は白い壁で、シンプルな展示環境が落ち着いた雰囲気を演出している。

そこを深掘りするのが、このセクションにおける現代の作家として選ばれた黒田大スケだ。

広島で彫刻を学んだ経歴を持ちながらも、「彫刻」に対する批判的な再検討を軸にした活動を行うユニークなアーティスト。彼は毎回過去の彫刻作品を徹底的にリサーチし、そのうえでそれを作った彫刻家になりきって、なんでそれを作ったのかという身の上話を「語る」。

京都出身の作家は、その多くの語りを関西弁で行っている。言葉の選び方、言い淀み、語りのリズム。全てに彼自身の視点や感覚が反映されており、それが渾然一体となって、彫刻史に対する彼なりの解釈を立ち上げていく。そんな彫刻史/イタコ/研究発表パフォーマンスを映像作品として記録し、さまざまな場所で発表しているのが彼なのだ。この企画にはぴったりの人選である。

会場には黒田による過去作と新作が展示されていた。広島平和公園に「自由の女神像」を建てようという話があった、なんてすごい話を彫刻家たちのおしゃべりを通してチクリといじった作品。そして、上田がその身の上を語る映像。さらに、上田とイサム・ノグチ(彼も広島平和記念公園に作品を展示しようとしたが、アメリカ国籍のためうまくいかなかったそうだ)の「対談」なんて映像もある。

その映像の周りには、映像で取り上げた作家たちの仕事のパロディのような彫刻作品が展示されている。

暗い背景の下で、黒田大スケの顔と身体に描かれた二匹の白いヤギのような絵が向き合っている。照明が当たって幻想的な雰囲気を醸し出している。

黒田の語りを聞いていると、公共空間にその作品を展示することが多い彫刻家とはままならないものだな……と思う。彼らは社会や政治の動向と無関係ではいられない。行政との兼ね合いや、創作への欲望とのせめぎあいのなかで、なんとか作品を残そうとする。でも一歩引いてこうやって検討してみると、果たしてそれでよかったのかという疑問が常につきまとう。戦争が関わってくればなおさらだろう。

彫刻はそんな異なる時間や文脈を内包しながら、ただその場に存在し続ける。それを解きほぐし、きちんと見つめることこそが、現在を生きる私たち鑑賞者が行うべきことなのだろう。それはたぶん、そのような複層的な存在である人間のあり方を照射していくことにもなっていくはずだ。


そんなことを特に強く感じられたのが、最後に展示されていた小森はるか+瀬尾夏美《11歳だったわたしは 広島編》(2023〜)だった。

これは広島に住む10〜90代の約40名の人々にインタビューを行い、11歳の頃の体験を聞いて記録として残す、というプロジェクトだ。

展示会場では小冊子としてまとめられたその体験を読むこともできるし、実際にインタビューを行っている様子を映像として観ることもできる。

その内容は幅広く、そもそも広島出身ではない人の語もあるし、戦争の話もあれば、全く関係のないような話もある(私の場合はやっぱり同世代の話が経験として似てるな~と思って共感できたり)。

けれど面白かったのは、単純に「過去=戦争、現代=戦後」というような単純な図式ではくくれないことだ。平和な時代に生まれていても身近な人の体験から常に戦争を身近に感じている人もいるし、戦争を経験しながらもそれ以外のことにもっぱら焦点をあてて語る人もいる。

人生を思い返すうえでの重心がどこにあるかということは、当たり前だけれど人それぞれだ。彼らの記憶や経験もまた、いまの視点から解釈され続け、それぞれの「声」として再構成されていく。モノもヒトも、そのようにして過去と現在を更新していくのだな、と再確認した。

また作品制作の舞台裏を追ったドキュメント映像もあったのだが、これがすばらしかった。前半のインタビューの風景もはっとするような親密な瞬間を捉えていて目が離せなかったが、後半のディスカッションのシーンが白眉。的確なカット割りとカメラ位置でぐいぐい引き込んでいく。これ全部の映像素材はどのぐらいの長さあったんだろう?すごく自然に話の流れに乗っていけて、やっぱり力のある作家だなあと思った。

木製の額縁に収められた水彩風のイラスト。淡いピンクとブルーの背景に、テーブルを囲んで座る複数の人物が描かれている。人物たちは本を持ったり読んだりしており、シンプルな線画で表情豊かに表現。全体に柔らかく穏やかな雰囲気が広がり、下に「聞く人たちの集い」と描かれている


コレクション展まで全部観終わって、最後に《黒田大スケとめぐる、比治山の記憶と物》に参加した。

黒田大スケ本人と比治山に設置された彫刻を巡りながら、《加藤友三郎元帥銅像》(1935)の台座も含め、この地の過去と記憶を振り返る……という小企画だ。

今回の旅行は実はこれがあると知って、日程を合わせて来たのである。黒田大スケがどういう人なのか知りたかったし……

はたして、ツアーはとても楽しかった。ユーモラスでひょうひょうとした語りで黒田が比治山のあちこちにある彫刻の由来や、山そのものの歴史について教えてくれるのだが、ちょっとした話でも深度があり、みっちりリサーチをしているのだなと思った。

比治山は戦前は御便殿(天皇の行在所=休憩所)があったり、陸軍墓地があったり、船舶砲兵団司令部が駐屯していたりと、戦時体制と浅からぬ縁のある場所である。

しかし同時に、いまここに訪れた人がそんな歴史を意識することはほぼないだろう。原爆投下時に比治山の西側はほぼ壊滅してしまったからだ。墓地などは再建されているが、御便殿はきれいさっぱりなくなっている。

広島市中心にほど近い自然豊かな公園、というのがいまのイメージだろうか。

けれど黒田の語りを聞いていると、そうではない比治山の姿が見えてくる。あちこちにある彫刻は、その時々の比治山の時代背景をさりげなく示しており、目を凝らしてみれば史跡が過去を伝えてくれる。

青空と緑豊かな木々を背景にしたヘンリー・ムーアの抽象的なブロンズ彫刻。滑らかな曲線を描くループ状の形状で、中央に大きな楕円形の穴が開き、銅緑色の表面に質感のあるテクスチャが見られる。全体が有機的で流動的なフォルムを成し、自然光の下で穏やかな雰囲気を醸し出している。
緑豊かな木々に囲まれた石造りの記念碑。「元帥海軍大将位子爵加藤友三郎」と刻まれた銘文が縦書きで記され、基部は段々状の台座で構成されている。表面に風化や汚れが見られ、地面には落ち葉や雑草が散らばり、自然の中で静かに佇む様子を捉えている。
「銅像建設由来碑」と刻まれた銘文が横書きで記されている、石造りの台座。中央には建設の由来が書かれた板がはまっていたらしいが、戦時に供出せよとのことで、ぽっかりとそれが抜けてしまっている。枠内からは緑豊かな木々が茂る森と、遠くに道路と停まった車が見え、自然光が差し込む穏やかな風景を捉えている。

広島市現代美術館は、そんな複雑な記憶と痕跡を抱えた山のふもとに位置している。つまりこの施設、そしてその立地自体が、「記憶と物」という今回の企画のテーマを体現したものとしてあるのだ。

美術館自体が黒川紀章による日本のポストモダン建築の代表作だったり、敷地内に様々な彫刻があったりするのも含めて――今回の日帰り旅行で観たもの知ったものすべてが、ひとつの主題へと収束していくような感覚になった。

最後に、黒田が比治山の斜面にみられるいくつかの凹みについて語った。

確証があるわけではないが、このあたりには人為的に掘られた穴を埋め直したのでは?という不自然な痕跡があちこち残っている。これらは防空壕の跡なのではないか。

比治山にもやはり原爆投下後、多くの人が逃げ延びてきたそうだ。ここまでやってきて、力尽きて亡くなった人も多かったことだろう。その遺骨がどうなったかどうかはわからない。けれどここもまた、縮景園がそうであったように、たくさんの人が命を落とした場所なのだ。

意識しないとすぐに忘れてしまうから、次にここに来たときは、頭の片隅においておこうと思った。

ツアーが終わると、ちょうど日が暮れるころだった。

広島に来るたび、この街と新しい関係を結びなおしているような気になる。

記憶も、物も、すべては絶え間なく変わり続けている。私自身も含めて。

またここに来るときは、今回とは違った態度で、この場所と向き合うことになるのだろう。

夕暮れ時に見える広島のスカイライン。緑豊かな木々が前景を占め、その背後にはさまざまな高さのビルが立ち並ぶ。遠くには山々が連なり、太陽が雲に隠れながらオレンジとピンクに染まった空を演出している。街灯が点在し、静かで穏やかな雰囲気が広がっている。7.1s速い

新しい広島駅の駅ビル「ミナモア」に入っているShimaji Coffeeの新しい支店でレモンメレンゲパイを食べて、新幹線で福岡へ帰った。

木製のテーブルに置かれたピンクがかった陶器のプレートには、黄色いレモンメレンゲパイが乗っており、銅色のフォークが添えられている。隣にはガラスに注がれたアイスコーヒーが黒いストローと共に置かれ、氷が浮かんでいる。プレートの横には「Peru La Higuera」というラベルが付いたコーヒーの情報カードがあり、産地や品種、標高、味わいについての詳細が記載されて

(2025年9月21日)