寛容とも言える雑さが好きだ。
例えば、公園の砂場。
だいたい安物の砂場遊び道具を持参して、誰かが忘れて行った道具と一緒くたにして遊ぶ。子供が気に入ったものは持ち帰って、別の公園に持って行くといつのまにか無いし、その代わりに見慣れない道具が入っていたりする。遊ぶ子供が特に多い公園なんかは砂場に"野良"が埋もれていて、手ぶらでも遊べてしまう。こうやっていろんな子が拾って忘れていってを繰り返して、市内の公園でぐるぐると循環されてるのかもしれないと考えたら、おもしろい。
例えば、仏閣。
お供物として参拝客によって置かれた塩や酒なんかは、当たり前に袋のまま。食塩が袋ごとどんっと置かれていたり、鬼殺しがどんっと置かれているのになんだか安心感がある。
お年寄りの家には神棚が必ずある印象で、祖父母の家にもあったけれど、やはり酒は鬼殺しの小さい紙パックがそのままお供えしてあった。
我が家も食器棚の上に神棚を作っていて、盛り塩は岩塩だし、お酒は一応開けて注いでいるけれど週に三日程しか替えられていないし、榊もついにダミーのものにした。
ググれば本格的な神棚の飾り方はいくらでも出てくるけれど、実際にお供えしてある「気持ちが大事でしょ!」というふうに袋のままの塩や飲みきりサイズの鬼殺しが未開封のまま置かれているのを見た時に、そのくらい適当で良いよなあと、局地的な事象が全体の価値観に広がっていく。
そして肩の力がふっと抜くことができる。