今日も昨日に引き続き、都内の大学で研究発表会があった。類似分野を扱う研究室が3つの大学から一堂に会し、今年度卒業する学生が卒論や修論について発表を行う。京都から来ているのはうちの研究室だけで、残りの2大学は都内にある。
会場に早く着きすぎたので散歩に出たら、向こうから先輩が歩いてきて、手を振ってくれた。会場の大学は今日が合格発表で、さっそく運動部の新歓が新入生に目を光らせていた。会場では、ウクライナ・ナショナリズムに肩入れしている先生がスタバの紙コップを机の上に置いていて、あ、そこはそうなんだ。と思った。人はそれぞれ自由な消費活動を行うといいと思います。
1発目の発表は5枚目のスライド辺りから何が何やらさっぱりわからんじゃった。言語学と神学をクロスオーバーさせたような話で、それはそれは難解であった。コメンテーターが社会言語学が専門の人だったので、社会言語学でこれはきつかろう…と勝手に心配していた。のだが、事前に発表者の修論と関連書籍を読み、万全の態勢で臨んでいた。彼と私は同学年である。
午前中はこれで終わりで、お昼ご飯。先述した先輩と一緒に食べた。先輩は飲み会が苦手とのことで、打ち上げにも懇親会にも顔を見せない。指導教官が毎回「こないだ来なかったね」と言ってくるらしく、それを気に病んでいた。私は「あの人なんも考えてないと思いますよ、もう飲み会苦手なんですって言っちゃいましょうよ」と無責任なことを言った。パウチのマーブルチョコがあったので、先輩の掌にお裾分けした。
会場に帰る途中に別の先輩が現れ、「〇〇先生(指導教官)が先ほどそこを微笑みを浮かべながら歩いていました」との情報を提供してくれた。ご飯を一緒に食べた先輩はM2、この先輩はM1、私はB4だが、我々は全員2000年生まれである。大学に入学したのは早生まれのM2先輩が1年早い。さらに先輩たちは学部を4年で出たが、私は学部に5年いて卒業が1年遅れた。のでこのような有様となっている。全員同性ということもあり、妙な連帯感がある。
お昼休憩終わり。いよいよ私の発表である。マイクをおもくそハウらせるなどの事故があったが、持ち時間25分のところを24分48秒ぐらいで収めるテクニックを披露した。しかも聴衆が文字資料を読む時間を1分間とった上の技である。私はタイムキーピング含め発表でよく褒めていただく。当たり前のことを当たり前にやっているだけだが、やはり褒められると嬉しい。
親に聞かれたので追記しておくと、2024年3月現在でも、発表が終わる5分前になるとベルをチーン!と鳴らされる。定刻になるとチンチーン!である。
質疑では他大学の先生方から質問をいただいた。ゼミで発表すると、一体わたくしの話を聞いていたのか?と問い詰めたくなるような質問ばかりが飛んできてウンザリさせられるのだが、さすがは先生と呼ばれるだけの方々で、極めて参考になる質問をいただいた。あと、私の伝達能力に問題があるわけじゃないこともわかって嬉しかった。
発表が終わったあと席で頂いた質問を紙に書き留めていたら、指導教官が話しかけてくれて、アドバイスをもらった。
次と次の発表はボーッと聞いていた。
最後に1人ずつ感想を言っていく時間があった。さっき指導教官の情報をくれた先輩は去年この会に発表者として参加しており、その時の体験を踏まえて「昨年はうちの大学が話長い人ばかりでご迷惑をおかけしました」と言っていた。私の知らないところですごいことが起こっている。
しかし、うちの大学に話が長い人が多いのには正当な理由があるのだ。この会の持ち時間は1人あたり発表25分+質疑15分で、これは我々のゼミの基準ではかなり短い。うちのゼミは発表1時間+質疑1時間で構成されている。私はこれしか知らないが、平均と比較するとかなり長いらしい。指導教官がこのことに言及したときにドヨメキが起きていた。
感想戦の時、指導教官が、「じじいなので最近ことわざがよく出てくるのですが」と珍妙な理論を展開した後、「青は藍より出でて藍より青しという言葉が思い浮かびます」と言ってくれた。恐縮である。我々は影で指導教官の微笑みを観察しているというのに。
その後は電車で帰り、親とカフェおよびショッピングセンターに行った。
親が古賀さんの『ちょっと走ったりすぐにかけだす』に興味を示していた。明日出張の新幹線の中で読むらしい。
最後の最後で、どこかで家の鍵を落としてきたことに気づいた。明日交番に行かねば。さらには友人と約束があり、神保町にまでも行く。