こうしてまた気づくと平気で九日くらい経っている。昨日の夜はしんどいなあと思っていると泣いていて、泣きすぎで鼻が詰まって苦しかったし、真っ暗な部屋でじっと寝転んでいるのが辛かったので、煙草を吸いに降りた。多分2時とかの話。
20になった日に当時の恋人と友人たちに影響されてたばこを吸うようになった。そこから心底喫煙者でよかったと思う瞬間が何度かあったが、それは全部泣いているときだった。泣くほどつらい時に本を読もうという気にも映画を観ようという気にもならないし、今は克服したけどつい最近まで音楽も聴けなかった。煙草は泣きながら吸えるのでありがたい。私が煙草を吸うきっかけになった当時の恋人と別れたときも、飯も食えないながら毎晩数時間ベランダに座って煙草をひたすら消費していた。夏だったし。今は冬の換気扇の下なので幾分快適さはないが、変わらずありがたい。
まあしかし、片時も離さずたばこを吸っているわけにはいかないので、粘土細工でもしようと思う。そういえばこの前、ラビさんのご親戚、一平さんの叔母にあたる人が唐突に「私、趣味が人形をつくることなんです」と写真を見せてくれた。ほんの数秒の予想よりはるかに本格的だった。お人形さんというよりドールと呼びたいかんじだった。アンサーとして私の好きな彫刻家の清水ちえさんを紹介した。
一昨日の夜、カズくんが電話をくれた。カズくんとゆたかさんと一瞬かんたと話した。しんどいなあと思いながら村上春樹の『職業としての小説家』を読んでいて、恋人の本とこの本の中の「フィクション」に関する部分が参考にしてるっぽいなとか考えていた。カズくんは「あやのちゃんはあやのちゃんでしかあれへんのになにを悩むねん、おちょくったったらええねん、社会を」と言っていた。
朝ごはんを作って食べる。朝を経て1日を過ごすことで意味として1日を始めたことになり、その1日は極めて私の意思で立ち上がる今日になり、明るく能動的な意識をもっていられるなあと感じている。そうすると伊東亜紗さんのインタビューを読みながら米を噛むということまでできる。