お恥ずかしながら、40年くらいドラえもんをやっております。
やっております。というのはもちろん演じているわけでも作り出しているわけでもない。自分をドラえもんだと信じる異常者として自我を確立してから40年経ったというわけです。即ちは彼は物心ついた頃からドラえもんであった。狂っていたのである。
ドラえもんのくせにプラモ作ったりギター弾いたりするんじゃないよそのダンゴみたいな手でと申される向きもあるでしょうが未来のネコ型ロボットに不可能はないということでご勘弁いただきたい。不可能がないならどうしてそんなしょぼくれた人生送ってパッとしない日記書いてるんですか? お、やんのか21世紀の未開人がよォ! 22世紀のコンプラ後退してんな。
半分本気の冗談はさておき、こういう芸風でやらしておりますとですね、SNSでただ思いの丈を吐いた雑文にも反応があったりするし、フォローもされてしまう。ドラえもんってどうやらきょうび国民的キャラクターなので意外と人気があり、それなりの人が知ってくれている。なんならプロフィールに「ドラえもん大好き! 一番好きな青ダヌキです!」とか書いてある。いや実際そんな強いプロフだったらフォロー返すかもしれんが、実際はそうではない。目がキラキラで頬を赤らめた体がマシュマロで出来てて「ワ……のび太くん……泣いちゃった……!」みたいなことをオタオタしながら言いそうなドラの絵を描いたりグッズ買ったりしとるわけです。
いいですよ、かわいいドラえもん最高。ありがとうサンリオ。ファンアートやグッズにそういうのが出てきて目くじらを立てるうるせえ原理主義オタクではない、映画とアニメという現在の"原作"の立場のものに言い訳なく出てきたらそこそこ暴れるけどまあどうせ来週には戻ってるだろと思えるから映画以外なら許容できると思う。多分。問題はそういうものを好んだり出力するファンが見ているドラは俺のようなただ40年一つのコンテンツに拘続けたあまり肉も骨も神経も存在意義もそれに依らざるをえなかったがために、もとのコンテンツの形を自分に合うように歪めて生きてきた汚い生き物なのである。そのようなものを、サンリオのドラえもんキャワ! ドラえもんのび太の関係性ラブ! みたいなキャピついた勢いでフォローしてきたフレッシュに見せていいものか不安になる。さらに言えば俺は「この映画を作ったやつは何も分かってない頭がおかしい、監督が4人いるか人格が4つある。そうでないと辻褄が合わない」だとか「ドラえもんが元ネコだから発情期があるにしてもかように頬を赤らめ錯乱した文言で小学生を惑わすものはまさに狐狸の類であり、未来のロボとは言えない、これをドラえもんとして認めるやつもどうかしてるし、これをドラえもんとして認める送り出す側の人間は自分たちの作っているものに矜持も理解もない」などの暴言をわき上がった熱のまま、テルミットで沸かしたやかんのごとくピイピイインターネットで鳴いている異常者である。一文が長いんじゃ。
RTだけしかせず自分の出力をしないものはともかく、そういった人々に、関係者に見られている……! と意識することで、自由に喋れなくなる、忖度や気遣いが発生してしまう。これが社会性だよ、のび太くん。しかし自分は異常者なのである。勝手にフォローしてきたやつに気を使う必要などない、目に入ったものに関して(社会のルールや通念上許容される範囲で)(おっ、お客さんイキのいい社会性だね)(イキも最近怪しいよね)(何が!?)好き勝手に述べていいはずなのだ。
だが、当然ながら異常者になりきれてはいないので刃は鈍る。観客が増えれば言葉はやがてなまくらになり、過激さを求める観客からは「今回はなんかはっきりしねえし前置きがウダウダ長すぎる」などの石を投げられる。公の場に創作物を投げつけて食っている人たちに心底尊敬の念を捧げつつ俺は気が向いた時になまくらになった言葉をインターネットの隅にできたロバ井戸に投げ捨て続けるしかない。
それでも「タイムラインにドラえもんがいるから茶化しにくいな」とエアリプで言われてしまう。まあこれは半分冗談であるとは理解しているが(多分) 考えなしに強い言葉を使ってまことしやかに作品を語るドラえもんアイコンの異常者がタイムラインにいて、自分だったらなかなか自分の感想を吐き出す気にはなれないだろう。俺だってプリキュアおじさんが10年前と同じ熱量で日曜日の朝に早起きしてるタイムラインで「今年のプリキュアのキャラデザは腸骨の膨らみが衣装に反映されてたヌフフ控えめにいって"最高"ですぞ〜」みたいなことは思っても怖くて言えない。あっ思ってません。本当です殺さないで。顔はやめて。こうして言論は彼ら自身の手によって泥の中に仕舞い込まれてしまうのだ。しかし俺は他人の、できれば他人の学童期のお子さんとその親御さんのドラえもんの素直な感想が見たいのである。ジャイアンの歌がつよかった〜! とかではないやつ。それはそれで大事だとは思うがそうではないやつ。俺が忌まわしいとことあるごとにあげつらう、新恐竜と宝島。理解ができない、作品ではない、どうしてこれが生まれたかの機序が知りたいと唾棄し続けている人魚、巨人伝、あとゴールデンヘラクレスオオカブト。これらを好きな人もいるはずだし、俺の知らない理由を俺に教えてくれるもしれない。しかし俺がインターネットでこれらの作品に対する憎しみを吐き連ねるごとに、これらを理解させてくれる、存在するかもしれない誰かの声は俺に届かなくなるのである。どうしたらいいんだ。インターネットやめろ。ほとばしるエクスタシー、甘い夢を見せてマイスリー。
カミを自分個人の中に内在させてしまうと、不要な時に都合よく引き剥がせないので厄介なんですよね。しかもそれが他人の中にもそれではない形で存在していたりすると、いちいちいちいち戦争が起きるわけです。本当に信仰は何もいいことがない。ないわけではない。いいことを何ももたらさないのは狂信と盲信です。だからドラえもんは言ったんですよ。全てを疑うんだよのび太くん。きみはぼくがいるわけがないと言っただろう。二度と会えないのだと。二度と会えないということは、きみ自身がぼくだということなんだ。世の中の人がなぜ青いロボットが街中を歩いているのを気にしないと思う? 道具を使っているから? なぜ未来の道具が騒ぎにならない? ドラえもんがいたという強目の妄想から覚めかけたあの日、全ての冒険、破滅、再生、歴史の改変。きみの中だけで起こったすべてのこと。未来、未来、
未来。
マジでマイスリーは悪夢しか見ない。