たとえ冷たくとも

みなみちはや
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昨日さあ、ラーメン食べた後二駅くらい歩いたんですよ。たまには歩かなきゃ行けないよね。昨日は暑くてコート着てたから汗だくになってしまった。それに比べて今日はどうしてこんなに寒いの? 温度差で発電もするの? 

歩道を歩いていると向こうから家族連れが歩いてきて、最後尾の幼女が自転車走行ライン(というのは法的には多分もうないのかもしれないが、名残として歩道に自転車が走行するラインが残っていて、未だに自転車はそこを通行している)に少女ならではのイナヅマ反復横跳びをキメ、また丁度よく彼女の後ろから自転車が走ってきていた。

善良な市民だけど見た目は怪しいおじさん、それも平日の日中なのであやしさがフル回転なのは自覚があるが、しかし幼女を守れるタイミングなのは俺しかいない、誰も見ていなくても俺自身が見ているので、正義でも保護欲でもいかがわしい気持ちでもなく幼女を自転車からまもるべく飛び出そうとして。

足が止まる。

うまいこと俺の巨躯が自転車通行エリア(だったもの)に出てきたので自転車も速度を落とし、怖いおじさんに視界を阻まれた幼女は家族のもとへかけより状況は丸くおさまった。俺の腹もまるければ天に浮かぶ半透明の月もほぼ丸かった。俺がさっき食ってきたラーメン屋の屋号にも丸がついていた。なべて世はこともなかった。またこのひとエヴァンゲリオンに心とらわれてるよ。

やっぱりさ、異常独身中年男性は存在がリスクなのよ、それを誰よりも自分自身が知っているのよ。今この世の中では綺麗(そうに見える)手でないと人を助けるわけにはいかない。誰も人の本当の内心を知ることなどできない。善を成そうとする異常独身中年男性などいるわけがないからだ。平日に街中を歩いていて、スマホにドラえもんのステッカーを貼っていて腹が出ていてイヤホンからインターネットをやめろとノリノリの音楽を流して瞳孔をかっぴらきながらSNSに支離滅裂な文章を書き散らしている異常独身中年男性の行動は常にうすぐらくうすぎたなく身勝手で自己中心的な衝動に基づくものでなければ納得をしない。うすぐらくうすぎたなく身勝手で事故就寝的な衝動で動いていなければならない、それを社会のみなさまが矯正し、監視してどうにか市民として許容していただいている。そういう自覚をもたなければならない立場なのだ。

だから、汚れている様に見える手でか弱い少女を守るために手をさしのべるのは許されない。白杖の盲者の手を取ることは許されない。道ばたで倒れた若い女性にAEDのパッドを貼ることは許されない。

だから足が止まった。少女の手を引くなり、もはや歩道側に抱き上げるのが早いのは明らかだが、俺は、物語でもSNSの伝聞のような感情を逆なでさせあおり立てるストーリーを根拠にしてではなく、こうしたときに手を出すことで自分自らに致命的な被害を受けることを知ってしまっている。目の前のしらん子供よりも当然ながら自分のほうが若干ばかりかわいいからだ。

基本的に法はそういうのを全部許す。ようにできているはずだ。でも法を使うのも作ったのも運用するのも法でないところで人を裁くのも人を判じるのも全部人間ですし、俺もそうして生きてきた。知恵あるものが偏見と差別なくして人は知らない人と生きることはできない。知恵あるものが偏見と差別なくとも人がわかりあえるというのはただの傲慢だ。話が飛躍しているとおもうなら、その点こそがそうだ、と俺は思うんですよね。あなたこそ人を人としてみていないんだ。人を冷たいというが、あなたこそが冷たい人間だ。

あなたにとってはもちろん、おれこそが冷たい人間だ。

たとえ冷たくとも、ほんの少しだけ熱がある。

そこからすら、みとめられないのか、おまえたちは。