悪い夢の話

みなみちはや
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最近よく夢をみるのである。

起きた時に記録する習慣があるでもないし、ほぼすべての場合白黒のつまらん夢であり、大人になってしまってからは人生の後悔や郷愁がないまぜになったものが混沌とした状態で襲ってくる事が多くなってきた。

そこで描かれるのはたいていは失われた友誼だ。

他人に能動的に関わらないずぼらで怠惰な性分、自分と同じように他人も自分にそんなに期待していないと思い込む自己中、インターネットのそこらじゅうにはびこる陰キャオタクが半笑いでそうしてきたような態度と空っぽの本質を見抜けたなかった旧友たちは、ハリボテを飾る口先三寸に騙されて俺と友誼を結び、やがて勝手に失望して勝手に離れていった。

市場に品がなくなって人が家に帰ったとして、悪いのは市場ではない。

しかし市場の看板が偽りだったため、求めるものを手に入られず人々が手ぶらで家に帰るとき、悪いのは市場ではないか? 市場は看板をがらくたとして店頭にほったらかしておいただけなのに? それでも市場は焼かれののしられる。他人の時間を奪った罪は何よりも重いからだ。出し物のない市場の時間はゆったりと過ぎていく。

インターネットの時代になったため、断絶の後に彼らのうちの何人かがどうしているのかを見つけることができるようにもなった。それぞれの思い出はそれぞれで語ることもあるかもしれない。他人に深入りし他人の中に入り込んで関わり合うことに不得手だったがあまりにも才能に溢れていたあの人々は俺に何を求めて居たのか今もまだわからないふりをしている。

彼らの力になってやれなかったことでも、求められた力を貸せなかったことでも、メールの一言を返してやれなかったことでも、嘘で塗り固めた人間の創作物に投資するつもりはないとあまりにもあけすけに突き放した人情のない吝嗇も、未練ではない。あのとき確かに俺かきみか、われわれに関わるもののうちのなにがしかが弱かったり不運だったりした。未練ではない。

未練ではなくとも、彼らはまた夢にでてくる。

面識のない面々が勢揃いして、すべての断絶をなかったかのように、知らぬ教室で俺とくだらない話をする。二度と互いの人生が交わることはないだろうけどまた来てくれてもいいよ。

俺はあの日のように、きみに何も与えない。