毎朝毎晩、飽きることなくお祈りなんてしてしまうくらいには私、君が恋しいみたい。
何かしらのプラットフォームに投稿するとき、君の話を最初にしたくなるくらいには、大切みたい。
私が著名人ならこう書くか、話の冒頭に添えるんだろうね。「親愛なる君へ捧げます。愛を込めて」とかなんとか?
私には、もうわかりきったこと。他人にはありきたりなこと。残酷なことに君はもう過去で、私は未来を綴っていかなくてはいけない。(これは、出会った最初の日から覚悟してたことなのにね)
幸いだなと思うのは、君を思い出すと、お土産話を沢山できるように、愛しい日々を積もらせようと感じられること。
苦しいなと思うのは、君との思い出を宝箱に収めたいのに収まらないこと。私だけが知っていれば十分なのに、世の中のあれやこれやを浴びると、口にして、書き出して、言いきかせないとしんどくなってしまうこと。臆病者なだけかもしれないし、最愛を知っているから致し方ないのかもしれない。どちらでも、私が思えばそうなんでしょう。
追伸:寂しさが母娘二人分積もってしまったみたいです。花束を買って、お墓参りに行きました。1ヶ月早かったけど、先代犬のお誕生日もあるし、いいよね。母も父も年々私を、そのままの私を肯定してくれるようになっているのは幸福なのかもしれない。息するようにまだ君の話題が出るし、写真を見せ合っているよ。きっとこの先誰かをお迎えしたとしても、変わらない風景だと思う。