活字が苦手だった。幼少期はずっと○○ごっこ的な遊びばかりしてたし、小学生の頃はドッジボールをするためチャイムと共に校庭に駆け出し、放課後はポケ◯ンに夢中だった。
本はどこにでもつれてってくれるなんて言うけれど、そのことが本当に心底理解できなかった。どこかにつれていってくれるどころか、その場から一歩も動けなくなるじゃないか。なんて屁理屈を並べては、本をつまらないものだと決めつけていた。
そんなんだから一時期Twitter上で流行った、義務教育中に通った児童書をあげるタグで流れてくる作品にも悉くピンと来ない。どれくらい本が苦手だったかと言うと、夏休みの宿題の読書感想文は殆ど裏のあらすじ読んで適当に書いてました。はい。(懺悔)
(じゃあなぜ二次創作で小説を選んだのかは、後日)
あの頃少しでも本を読んでれば、本の素晴らしさに気づいていれば、今頃もう少し推しカプたちを上手く書けてたんじゃないかなぁと常々思ってしまう。惜しいことをした……。
そんな私が本を読む様になったのは大人になってからだった。きっかけはフォロワーが教えてくれた小説がすごく面白かったこと。もうびっくりした。本当に目からばらばら鱗が溢れるあの感覚が忘れられない。
活字を追う=眠くなる、疲れる。といったイメージをずっと持っていた私だったが、そのイメージたちは全て一掃された。本って面白い。小説って、エッセイって面白い。そう思った。
「そんなにハマると思ってなかった……」
教えてくれたフォロワーが若干引くぐらい、私はその作家先生にのめり込んだ。いろんな作品を片っ端から読んで、エッセイに笑い、BL小説を書いてるとの情報を得られれば血眼になって探しまくった。
そんなこんなで、細々と二次創作を書きつつも完成させられずに途中でやめるか(9割こっち)、完成させられたとしてもその後最低3ヶ月程度PCに触らなくなる腐女子だった私は、無事少しずつコンスタントに二次創作をする腐女子に進化した。
加えてここで再び転機が訪れる。
それは凄腕字書き様の作品との出会いだった。真夜中、布団の中でいつも通り推しカプの二次創作作品を漁っていた時に偶然出会ったのだが、1行読んだだけで格が違うことを悟った。
「これは、ちゃんと読まないと」
頭の中で誰かがそう諭してくる。私は素直に頷き、一旦睡眠をとり翌朝その小説を読んだ。
読み終わった時、息切れが止まらなかった。そんなことは初めてだったのでものすごく戸惑った。
その作品はもはや小説という枠を超えて『世界』だった。本当に、他の追随を許さない完璧な世界。真っ暗な夜空に突然光り輝く星を見つけた様な気分になったことを覚えている。
まさしく理想だった。理想に出会って、もう止まってなんていられなかった。月とスッポンどころの話じゃないが、いつかその方が生み出される様な、読んだ人の魂をうち震わせ、読了後、息切れしてしまう様な話が書けたらいいなと思う。
活字が苦手だった私が、活字に魅せられるまでの話でした。