Switchでゲームをしたくなって、ダンボールの砦からの救出を試みた昨日22:23。
結局溢れかえるダンボールの山から見つけられたのは、大好きな短歌集と書きかけの日記。loftで表紙に一目惚れしたその日記はハードカバーの星空がとても美しい、紛う事なき日記のために作られたノートである。
ここで突然私の自己紹介を捩じ込むのだが、自分という人間は非常に残念なことに、“継続”というものがすこぶる苦手な人種である。例えば、ラジオ体操は3日続いたことがないし、夏休みの宿題はぎりぎりになってからするタイプ。
典型的な三日坊主。それも最初だけやるぞと意気込む、頭でっかちなタイプ。そんな人間が毎日日記が書けるわけがない。だから、私が引っ張り出した日記には、使用開始日の欄に2016年1月24日の日付が刻まれている。2016年当時の自分は、よもや嬉々として買った日記が全ページ中半分も使用されていないまま年号の変わった8年後の未来で触れられようとしているだなんて思わないだろう。もはや才能ですらある気がしてきた。全然続けられない才能。
ページを捲ると、そこには2016年の自分がいる。
学生だった頃の自分が、日記を開くたびに同じことを宣っている。
「もう2年も経ったのか」「最後に書いたのが半年前なんですが……」
人はそう簡単には変わらない。毎日書くなんて私には到底無理な話である。だからいっそのこと、もうこの日記はタイムカプセルにしようと思った。時を超えて、私が気まぐれに綴る、きっと世界で一番ゆるいタイムカプセル。
日記は自由だ。毎日書くタイプの日記だけが全てだと思ってはいけない。そこに自分がいたらいいと思う。変わらない部分もあれば、変わった部分もきっとある。
ところで、2016年に購入し、現時点で全体の半分も埋められていない日記が物語る様に、継続が苦手な私が推しカプの話を100話書いたって、これ実は、なかなかに大事件じゃないの?