春。それは簡単な算数だ。毎日1.5時間の残業が新人教育に計2時間取られるために3.5時間に増量される季節。勤労者たちは毎朝時刻通りに走るシティ行きの高速電車に揺られ、鉛色のスパウトパウチを吸いながら、溜まり続ける疲労の海に沈むように目を閉じる。
住宅回廊とシティとの間にある長い鉄橋を渡り、ゆるやかなカーブを繰り返しながら勤労者を職場へと運ぶ電車は、白い鱗が重なる竜の尾のように静かに揺れる桜並木の合間をぬって流れるように進んでいく。
大きな角丸の窓から降り注ぐ春の日差しで温められた、車内に滞留する生ぬるい空気が、駅に着くたびに、50年前から変わらない発車ベルと共に適温の冷えた外気と混ざり合い、詰め込まれた錫色の勤労者たちの間をぬるりと撫でる。勤労者たちは電車が揺れるたび、箱に入ったマッチ棒のように互いの体の一部をこすり合い、そんなふうに今日も運ばれ、運ばれ、運ばれていく。
限界だッ、とマッチ箱の中で誰かが小さく言った。
それはまるでネズミが壁の穴に向かって走るように早口だった。だからなのかほとんどの勤労者は誰も気に留めなかった。数人の勤労者は、吊り革の揺れる音がたまたまそうした音階を発したのかもしれないと心の中で呟いて、それきりそのことについては考えなかった。不運にも聞こえてしまった勤労者も数人いた。だが、彼らはポケットから取り出した小型オーディオを耳に挿して眠ったふりを決め込んだ。次の駅で片方だけ薄目を開けて、治安維持警備隊が待ち構えていないかとヒヤヒヤしたが、誰もいないホームを見ると電車の遅延がないことにほっとして、また目を閉じた。
シティ中央のターミナル駅でドアが開くと、口から吐き出された胃の逆流物のように、勤労者の群れが一斉に足早に動き出す。薬指の付け根に埋め込まれたICチップを改札にかざし、工業製品のように一人ずつ完成体として納品されていく勤労者の波に逆らって、左右に分かれた改札口の矢印案内を無視して彼女はまっすぐ進んだ。埃くさい階段を降りると、そこにあったのは小さなホームらしき空間だった。地面のコンクリートはひび割れ、何年も修繕がされていない。ホームのすみに、この地下鉄の駅と同じく、人々に忘れられたようにひっそりと光るネオングリーンの券売機があった。彼女は右端のボタンをタップし、吐き出された切符を満足そうに見つめた。
最遠方銀河GN-z11行きの切符を握りしめた彼女は、もう五分したらやってくる電車に乗って、春の星を旅立つ。