繁忙期が終わりそうだけど残務に追われているなかで、出会いたかった概念や言葉に出会った。
何度か読み返し、関連の言葉を調べたり、本を読んだりするのだろうという、概念や言葉たちとの出会いだった。一人ひとりに世界と言葉がある感覚は持っていたけれど、こうやって表されると、ほっとする。
私は、言葉を、他人から借りてきたままで振り回す人々が、苦手だ。それは誰が何を話しているかわからなくて混乱するから、なんだとおもう。
「友達だから」「恋人だから」「家族だから」ってなんだろうね。あなたとわたしや、あなたと誰か、わたしと誰かの関係性を、そうやってフレームに当てはめてあるべきを求めるの、しんどくない?本当にしてほしいことやしたいことを、自分の言葉でない誰かの借りものでしゃべっている感じが、わたしにはしんどくて、離れてしまう。元家族たちのように。
「学生のくせに」「会社員なのに」「いい歳して」「世間から見たら」みたいな言葉たちも、そう。あなたの本当に言いたいことを、概念に当てはめて伝えられようとするそのとき、私は、冷めた気持ちで言葉を右から左に流している。
かなしい、さびしい、もっとこうしたい、うらやましい、ほしい、くるしい、くやしい、そうした気持ちと向き合わないで、他人の言葉を借りて他人に指摘や指示をする人々は、たくさんいるけれど、そのままで苦しくないのかな、しんどくないのかな。うっすらとしたしんどさの方が、向き合うしんどさより楽な時もあるから、いまはそれしかない時もあるけれど、しんどくてもあなたはあなたの言葉を伝えられるようになることを、私は願っているよ。あなたが誰かは知らないし、誰でもいいんだけど、ねえ人類。
私は私の言葉で世界を捉え直して、私のための地図をつくるために、こうやって言葉を重ねているんだろうな。私は私に優しくありたいので、私は私の言葉を、大切にしたいし、世界を冒険するための地図をね、編んでゆきたいね。
わたしむけのリンク
この記事の好きな箇所はたくさんあるけど、今日は、ここだった。
“ロールズは「社会とはコーポラティブ・ヴェンチャーである」と言っています。コーポラティブ=一緒にやる ヴェンチャー=冒険・挑戦です。このニュアンスが大事だと思うので、私は「社会とは、皆で取り組む命懸けの冒険である」と訳しています。つまり社会とは、参加しているすべての人たちが共同で実施する冒険・挑戦であると。”