就職時に上京して十年以上経つが、正月に帰省したのは1、2回ほどだった。今年もどこにも帰省しない正月を終え、今の家族と迎える正月が、ここ十年でいちばん回数を重ねたんだな、と気が付く。
私は転勤族の子どもで、振り返るに、地元への愛着が形成される年齢に点々と過ごしていたため、故郷と感じる・呼べる場所がない。いま「実家」と一般的に呼ぶのであろう両親が暮らす家は、近年両親が住み替えた家で、私が暮らしたことはない。
年齢の違う兄弟は、運よく愛着の形成期に長く暮らした土地が、今両親の住み暮らす地とマッチしているので、ときどき帰っているようだ。だから両親と兄弟にとっては、学び働き暮らした愛着深い地なのはわかる。どこそこでなにがあった、駅前になにかが新しくできた、そうした話に興味関心がわかない、血縁者の中で一人だけよそ者感が、共に暮らしてた時からずっとあったし、それでいいやと思う。近隣県に暮らす祖父母の多くは亡くなり、従兄弟従姉妹もあちこちに散っている。親戚を回る先も、もう互いに顔がわからない。
転勤族の子どもの成れの果ての悪例の一つなのだろう、だから折に触れてSNSでこの話をしている気がする。故郷がない、帰省はしない、帰りたいとは思わない。親子関係がもともとよくないことに加えて、土地に愛着がないのだから、帰る理由がない。
前夫との婚姻生活では、毎年夫の実家に帰省していた。それそのものは旅行としてはたのしく、元義実家の人々は年の離れた嫁に気を使ってか優くかわいがってもらえた。でもずっと、お客さん、の状態だったからか、愛着はそんなに、ない。善い人たちだったから会えないことは少し寂しい、ただそれだけ。
子どものころに比較的長く暮らした土地は、4年弱そこにいた、引っ越すときに私だけそこに残って暮らしたかったけど、未成年者にそれは難しい話だった。人間関係なんて環境が変われば変わるものだと、年の割には冷めた人間観を早めに獲得できるのは、転勤族の子どもでよかったことなのかもしれないが。
それに比べたらインターネットはもう二十年以上私にとっての居場所で、ハンドルネームやプラットフォームは変われど、私はずっと、ネットのどこかにいる。インターネットに暮らしたい。いやもうこれはインターネットに暮らしているようなものだろうか。何を食べた、どこに行った、うれしかった、かなしかった。あちこちにログを置いては、人々と交流しあう。
いっそ、インターネット故郷が盆暮れ正月のたびに表れてくれたらそこに帰省するのは楽しいかもしれない。00年代、10年代のネットミームがあつまる有象無象が集合……するのを想像したら、脳内でアイコンやキャラクターが並んで動き回る百鬼夜行のような行列が歩き始めた、悪夢を見そうなので考えるのをやめた。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」室生犀星の句は、故郷に帰ったときに詠んだものらしい。愛憎入り混じる感情を抱く対象なんて、遠くにあるぐらいが、ちょうどいいんだろう。インターネットは近くにあるからこそいいもので、故郷なんてないぐらいで、ちょうどいいんだ、そう思うことにする。