自分が話したいことが誰にも話せない、こんな孤独なことがあろうか。
誰かに全部話したい。話して、自分に都合のいいことだけ言って欲しい。でも、そんなことは許されないし、意味がない。
傷つかずに生きていきたい。傷つかずに成長したい。耳の痛い言葉を、耳が痛くないように変換してくれた上で、前向きに受け止めたい。そんな甘えたことを考える。
自分の立場に任期という名の有限性をつくるのは、ある意味では「いつか終わるんだよ、終えていいんだよ」ということを自分に言い聞かせるため。あるいは感情的なことで衝動的にやめてしまわないように、「任期までは頑張ろうね」と堪えさせるためだ。
でも感情に真っ直ぐに、自分にわがままに、あるがままに生きた結果自分が思う通りの生活を得られる可能性もあって、いまの鍛錬が本当に意味があったのか、その制約を課してまで辛いことに耐える必要があるのか、それはわからない。
今は静かに、終わるのを待つ。それまで耐える。その間、日常を通り過ぎていく自分の周りの人の幸せそうな表情を、それに一瞬でも携われたことに喜びを覚えながら耐えるしかないのだ。