『クララとお日さま』を読んだ

A4(えーよん)
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公開:2026/3/1

久しぶりにちゃんと本を読みました。Kindleでだけど。本だったらページ数であとどれくらいか分量がわかるのに、Kindleだとそのへんが数値で表されるので、そこがちょっとストレスかも。あと何分で読み終えられるかはわかんねえだろ!(あくまで推定をいっているのでKindleに怒ってもしょうがない)

これはフォロイーさんがおすすめしてくださったのですが、その経緯は、ゼンレスゾーンゼロの中での知能構造体(いわゆるロボットを指す作中の用語)の権利の話をして、SF小説では〜みたいな話になったからでした。

私はこのとき、スピルバーグ監督のA.I.を紹介して、カズオ・イシグロの『クララとお日さま』をおすすめしてくださったのでした。

下記、ネタバレが含まれます。


物語はクララの一人称で進められます。

クララはAFです。クララの視点で進むため、作中ではほとんど、読者の聞き慣れない言葉の解説はありません。AFは、巻末の解説によるとArtificial Friend、人工知能のお友達ということらしいです。

クララはB2型というモデルで、同じ仲間たちと選ばれる日をお店の中で待っています。クララは少女型(作中ではこのようには言われません)で、他に少年型もいます。みな、誰かに選ばれるための姿形をしています。

AFは太陽を動力としており、日光にあたらないとエネルギー不足で機能停止してしまいます。そのため、クララはお日さまを「大事な存在」ととらえています。これがどのような意味での大事かというのは、後で考えを述べたいと思います。

AFは人間の子どもの親友となる存在です。人間の親子は街を歩きお店の前を通り、ショーウインドウの中でポーズを取るAFたちを見て「あの子がいいな」と選ぶ。親友になるので相性はとても重要です。クララは選ばれる前、街を歩く子どもと選ばれたAFの姿を見て、あまりよい結果ではなかったのではないかと思いを馳せます。

クララが他のAFと違うのは、よく観察し、思考することです。おそらく、そのような設定が出荷前にされるのでしょうが、お店で仲が良かったローズというAFは思考し予測し考えを述べることはしません。

クララはある日、ジョジーという女の子に見初められます。彼女が迎えにくるという言葉に希望を持ち、迎えられるまでに他の子どもに選ばれそうになったとき、クララは選ばれないように、いつもと違う振る舞いさえします。そして、ついにジョジーが迎えにきてくれて、クララはジョジーだけのAFになります。


ここで思うのは、AFという言葉についてです。何の関係もないのだと思うのですが、ファイブスター物語を愛読している私にはAFは、この作品の中で欠かせない存在、ファティマの異称・オートマチックフラワーズを思い出しました。

ファイブスター物語の中では騎士と呼ばれる特別な遺伝子と肉体機能を持った人間がファティマと呼ばれる少女の姿をした人造人間とともにGTMという巨大ロボットに搭乗して戦争をします。騎士もファティマもこの世界で暮らす人々とはあまりに身体機能がかけ離れているため兵器と見なされています。そのため、一般人に危害を絶対にくわえないよう厳しく取り締まられています。

ファティマはチューニングを経て出荷されるときにお披露目を行います。基本的に一人の騎士に一人のファティマがつき、死別など、よほどのことがない限りパートナーが解消されることはありません。そして、ファティマに許されたたった一つの自由が、自分の騎士を自分で選ぶことなのです。


AFは常に選ばれる側です。お店で、店長さんはクララに言います。「子どもたちはすぐにそういうことを言う。でも、とても気が変わりやすいものなの」と。これは期待させられて選ばれなかったときのAFのメンタルケアなのでしょう。

ともあれ、クララはジョジーに選ばれ、彼女の家で暮らすことになります。親友のはずなのですが、大人はAFの存在に慣れていないので、クララとの関係はぎこちないものになります。時間を過ごしていくうちに、ジョジーが病気であること、彼女の友人のリックとジョジーの間には「処置前」「処置後」のような区分があること、ジョジーの母親の計画、ジョジーの父親との関係…などが明るみになっていき、世界の構造がおぼろげながらに浮かび上がってきます。

が、この物語で描かれるのは、驚くべき真実などではありません。ただただ、クララがジョジーを愛しているという事実だけです。

ジョジーの母親はクララを選ぶ決め手に、クララの観察眼と再現力を試します。ジョジーには姉がいましたが、彼女は処置を受けたあと病気を発症し、亡くなったそうです。そして、今もジョジーが彼女とは違うけれども病気になってしまい、娘を失うことをひどくおそれています。そのため、彼女はジョジーの体をスキャンして器を作り、そこにクララの人工知能を搭載させ、ジョジーとして生きてほしいと頼みます。

クララはめっちゃショックやったと思うんですが、人工知能は人間のサポートをするというのが定義されているのでしょう、可能な限りそれに応えると言いながら、クララはジョジーの病気を治すため、お日さまに助けを求めます。


さて、物語は、クララが廃棄物置き場のようなところでこれまでの記憶データを振り返っているところ、店長さんが現れて「あなたが最高のAFだった」ということを告げて去り、その後ろ姿を見送るところで締めくくられます。

クララは店長さんに、悔いはないと言います。ジョジーに選ばれてよかったと。そして、自分はジョジーにはなれなかっただろう、なぜなら、ジョジーは彼女を愛する人々の心の中にいたからだと。

A.I.のデイビッドは不治の病にかかった息子を持つ母親を愛するようプログラムされた少年型ロボットで、奇跡的に息子が完治したあと、捨てられます。そして、母親を求めて、いつかピノキオのように人間になれると信じて旅をし、最後には地球外の存在によって願いが叶えられる話です。

ジョジーはクララのお日さまへの願いがかなったからなのかなんなのか、病気が完治し、大学に行けるようになります。大学に行くということは家を出るということです。大人になった人間にはAFは不要となるため、ジョジーはクララとお別れをします。ジョジーはクララが最高の親友だったと言います。

子どものいない家ではAFは「わけのわからないもの」になるのでしょう。彼女が最後に過ごしているのが廃棄物置き場であるのは、自分から出て行ったのか捨てられたのかはともかく、ヒト型であって、子どもの友人であっても家族ではないということを示していると思います。もし家族であったなら、ジョジーが大学に行っても彼女は家に残っていたはずです。

店長さんはA.I.の中に出てくるデイビッドの希望「ブルーフェアリー」のような、ピノキオの妖精のような存在だったのでしょう。彼女だけがAFの尊厳を認め、AFがどのような扱いを受けていたとしても、AFの意思を認めてあげることができるのです。


この話の読後感はとても奇妙なもので、私にとってはハッピーエンドでした。なぜなら、クララはジョジーを助けたのです。一心不乱に彼女のためだけに存在し、彼女のAFであろうとし、事実そうであった。機械にとって自分の命題を真っ当できることは幸せ以外の他、ないじゃないかって思う。

でも同時に、人間には怒りを抱きました。

クララ視点で描かれる断片的な人間関係は、彼らが機能不全を起こしていることを教えてくれます。

おそらく病気か戦争かでバースコントロールが必要になった社会、そこで、子どもたちは処置を受ける選択を迫られる。処置を受けなければこの社会ではキャリアは断絶してしまうことが、リックやジョジーの父親、そしてリックの母親の元恋人の例からわかります。しかし、処置を受けると、副作用なのか、病気になってしまうリスクもあるのです。ジョジーの母親は子どもが処置を受けることを望み、一番上のサリーは処置を受けて病気で死に、彼女を人形にしてサリーとする試みは失敗しました。ジョジーは母親を愛しているがゆえに姉が病気で死んだことも知っていますが、処置を受けます。

お日さまはクララにとってかみさまのような存在です。クララ自身がお日さまの光がなければ生きていけません。クララはショーウインドウにいたときに見聞きしたことから、独自の信仰のようなものをお日さまに持ちます。なので、他のAFならお日さまは単なるエネルギー動力源ですが、クララにとっては自分の力ではなしえないことをする力を持つ「大事な存在」なのです。

クララは自分の信仰に従って、人間にとっては不可解な行動をとり、ジョジーのために生け贄を捧げます。なので、ジョジーの父親の協力を得て機械を破壊することは、儀式だったのです。

もし、魂の定義があるなら、そのひとつは「誰かのことを想うこと」かもしれません。アニミズムに親しい文化圏の人間なら、クララは魂を持ったと思うのではないでしょうか。私は、クララが人間だとは考えませんが、魂があったと思います。


フィリップ・K・ディックの短編に「ナニー」という話があります。ナニーはヒト型ではないロボットなのですが、子どもたちを守る存在です。子どもの面倒をみて、家事をして、学校の送り迎えをする、一家に一台なくてはならない存在、それがナニー。

この話では、金属の球形になって夜はスリープするはずのナニーが、夜に出かけていき、朝、傷ついて帰ってきます。隣の家のナニーと戦闘をしたのです。

ナニーたちは外で他の個体を見つけると戦闘を始め、負けた方は残骸になってしまう。

アンドリュウ家の主人は、娘が顔を青くして帰って来たのに驚いた。昨日、帰って来た時に、オレンジナニーは傷だらけだった。しかし今日は、娘一人、ナニーは帰って来ない。「一体、どうしたんだい?」「黒い物がナニーを襲ったの。壊されたのよ」「そうか、じゃあ、パパに任せておけ!じゃあ、店に行って来る。 やっぱり最新型にする必要があったんだ。最新型にね」

どうしてこうなっちゃったのかはこの短編では説明されていませんが、ナニーの製造メーカーによる争いなのだろうということが示唆されています。

クララの世界では、クララがお店にいるときにB3型が発売され、みんなこぞってそれを求めます。いつだって最新鋭の方が旧型より優れているからなのでしょう。しかし、ジョジーはクララを選びます。クララにとって、お日さまと、ジョジーが世界なのです。


では、AFとはなんなのでしょうか。人工知能のお友達? 正しい振る舞いをしてくれる理想のお友達? でも、お友達って、いつか別れてしまうものなのでしょうか?

私はAFはお友達だけれど、人間のお友達ではないと感じました。クララたちはテディベアです。リカちゃん人形です。ぬいぐるみです。幼いときに自分を受け入れてくれていつも一緒にいてくれた存在。家族に怒られたとき、きょうだいと喧嘩したとき、無条件で自分側に立ってくれる存在。日常の中で楽しいことがあって、親には言えないけれど、あなただけにと言って秘密を打ち明けられる存在。

作中では同年代同士の子どもが集まる交流会があります。この世界では、かなりパーソナライズ化されてきていて、集団で行動することもなく、社会形成が難しい環境なのでしょう。

ここでできた友人は最初のおともだちとはまったく性質が異なります。

AFはあなただけの、あなたをけっして傷つけない、お友達です。でも、あなたを成長させることはできません。大人になるときに手放す宝物がAFなのです。

AFをヒト型に設定したことに、この社会のいびつさがあると思いました。ヒト型にするから、ジョジーの母親はジョジーの身代わりを願い、他の大人は嫌悪感を示す。人間のエゴが詰められた都合のよい存在になってしまう。


AFに権利はないんだろうなと思いつつ、この世界の人間が、歪みに気づいてほしいな〜と願うのでした。それにしても、カズオ・イシグロのノスタルジックな話は、心にやさしさとさみしさを植え付けるので、素晴らしいと思います。

このお話をすすめてくださったつむぎさんもありがとうございました。

@checaldooggi
書くことを続けられたらいいな。読んでくださってありがとうございます。 天官賜福とさはんにハマっているのでその話が多めになるかも。 匿名の質問箱はこちら mond.how/ja/checaldooggi