今日、タイムラインにこのポストが流れてきて、なるほどと思ったものの、自分の中ではなんかしっくりこおへんなと思ったので、なぜしっくりこないか言語化を試みてみます。
私は母や父や妹と読んだ本を共有して感想を言い合ったり、ふだんの会話の中でキャラを登場させて盛り上がったりするのが好きで、魔道祖師を読んだとき強く家族にも読んでほしいと思いました。
が、すぐに無理だ…と断念。とにかく4巻の最後と番外編がエッチ過ぎるので、いかに話が面白かろうと、自ら読みたいと思わない限りすすめられないなと思ったのです。
これは私の勝手な印象になりますが、魔道祖師は途中から群像劇をかなぐりすてて二人だけの世界の話になるのです。あとで読み返したら最初から二人だけの世界の話なのですが、全貌がわからない初見では、初めて行った観光地、「こういう場所でこういう人がいてこういう歴史があるんやて〜」てな風に、二人が生きる世界を丁寧に描いてくれている。で、主人公が持つ業だとか因縁、なぜこのような事件に巻き込まれることになったかの謎などが渦巻き、それ自体がめちゃくちゃ面白い。が、もう一度言いますが、最初から魏無羨と藍忘機、この二人の話なんですよね。まったくそれは揺るがへんのや。
なので、エッチなのはもちろん、この二人の話として読みたいと思わないと、最後「エーッ」てなるんちゃうかな、と考えるんですよ。
で、この二人の話であるというのが、BLである所以だと思うんですよ。
私は「ミレニアム ドラゴンタトゥーの女」が好きで、サスペンスとして面白いし、何より、ミカエルとリスベットの二人をカプとして愛でているんですが、これは二人の関係性の話ではありません。なぜなら、ミカエルとリスベットの関係は物語の重要な要素の一つではありますが、この二人をカプとして見なくても物語は進みますしエンディングを迎えるからです。ていうか、ミカエル、リスベット以外の女性とも関係持ちまくりやからな。既婚者だし。
あと、明らかにそうではないのに「この二人、そういう関係だろ!!!」て興奮しながら読んで、物語としても好きなのは「造物主の掟」というSF小説と「別れを告げに来た男」というスパイ小説なんですけど、これも勝手に私が「そうだったらいいな〜」と思いながら読んでるので、二人の関係性というのは恋愛として描かれてるわけではない。
BLがBLとされるのは、やっぱり関係性がはっきりそれとして描かれるためで、そこが1番重要やと思うんで、それを楽しむことのできる読者じゃないと読んでほしくないな…て気持ちが働く。
私が今読んでるいわゆる中華BLは墨香銅臭先生の三作と千秋と病案本ですが、どれもめっちゃ面白いけど、BLというジャンルだと意識して描かれている。そう定めていない作品の中で男男や女女の恋愛含む関係性が出てくるのとはやはり、違うと思うんですよね。
と、ここで、私の中でのBLの定義は、「男同士の二人の関係性に主軸を置いており物語の中でその恋愛感情を描いているもの」なんだなということに気づく。
例えが良くないんですが、めちゃくちゃ面白い成人向けの漫画をおいそれとすすめられへんのと同じ類のものがある。成人向けで女の子みたいにカワイイ男の子が出てきてその男の子が女の子に攻められてて中世ファンタジー風の成人向け作品…とオーダーされれば迷わずロード・オブ・トラッシュ(A-10先生著)をおすすめするんだが…。
なので、BLジャンルにあるからといって中華BLを最初から除外するのは悔しいな〜という思いがありつつも読む人のヘキも忘れたくない、なので、「面白いのにもったいない」て言うのは、すすめる側の傲慢なのかなとも思ったりする次第。
で、これも思い出したんだけど、昔、スラムダンク読んだこともアニメも見たことないといったら、人生損してるみたいなこと言われてからすごく嫌になったことがあって、もったいないとか損してるとかは本人が決めることなので、すすめるときは、自分の狂ってる姿を見てもらって、あわよくば読んでもらえたらそれでいいのかなって。
私の中での結論としては、BLと銘打ってる以上、BLとして除外するのはふつうのことで、性癖カテゴリのBLにチェックを入れない人にすすめることはない。読まないのは勿体無いわけではない。ただし、二人が生きる世界を丁寧に描いているので物語に没頭したいなら選択肢としてアリ、としてすすめてみる…がいいかな、と。
翻訳の文章が合わなくて読まないとかもあると思うんで、大雑把にまとめると、最後は合う合わないになるよな…。
なんとか母と妹には魔道祖師や天官賜福を読んでもらって二人の意見聞きたいんだけど、二人ともBLは嗜まないので、ぐぬぬ。読めないわけではなく、興味がないから読まない、の場合、ジャンルの壁って高くて厚いと思う。