面白いという評判だったので興味本位で映画館に観に行った。あんまり面白くなかった…けど、これは自分の好みによるものだろう。
私は小学生の時から父の蔵書の「愛蔵版 ゲゲゲの鬼太郎」(中央公論社)を読んでいて、ここに鬼太郎誕生の話も載ってるんだけど、映画の内容はこれとは違った。エンドロールの時に挿入されていたので、そこはよかったなと思ったけど、映画本編は「なんなんだろうこれ」て思いながら見ていた。
私の基準で言うと…面白くない。私は映画館の席で「ゲド戦記」「蟲師」を見た時のことを思い出していた。開始10分で面白くないやつは大体最後まで面白くないのである。
アニメを見ておけという話なのかもしれないが、鬼太郎を追いかけている出っ歯の男はなんなんだろう。最後に記者なんかい、てことがわかるんだけど、最初と最後のパートにこのひとがいる意味がよくわからん…。時ちゃんのことを書き残してくれるんか?昭和の陰惨な事件として村で起こったことを調査して発表してくれるのだろうか。たぶん、書いたとしても相手にされず出版できたとてサブカルコーナーに置かれるのだろう。(しかし、アニメに常に出てきていて妖怪と人間の接点になる存在というなら、この人のいる意味はあるとは思う。が、この映画の文脈に必要だったのかどうかはわからん)
この記者が腐った床板から落ちて見たものがなんだったかは過去の話で語られるんだけども、金の鞠が「助けてくれ〜」と言いながら奈落の底に落ちていく。これが、黒幕というか元凶だったことがわかる。が、これを冒頭で持ってきて、最後に言及されない。こいつ、スゲー悪だったんだが…。まあ、鞠に封じ込まれた時点で罰を受け続けていてその後もずっとあの状態ということがわかればOKなんかな。もう語る必要もないということなのかも。ただ、そこまで考えないといけないのが、なんなんだろうと思う要因でもある。
話の筋は、記者が「ここで何があったんですか!?」と聞いて過去が語られる。そしたら視点が突然水木という男に変わる。
水木は龍賀製薬の創業者一族・龍賀家の当主が死亡したという話を自身の勤める帝国血液銀行で小耳に挟み、上司に直談判して自社、そして自分にとって有利になるよう、取引のある龍賀製薬の現社長が当主になる場面に立ち会うため、一族の本家がある哭倉村に赴く。
村は辺鄙な山中にある。東京から列車に乗っている途中、不思議な男に声をかけられる。
この不思議な男は鬼太郎のお父さん、つまり目玉のおやじの目玉が落ちる前の姿なのだが、なんでここで列車に乗ってて水木に声をかけるのか謎である。
死ぬで〜みたいなことを言われて気づいたら男はおらず、水木は不可解な出来事に釈然としないながらも哭倉村に到着。そこで、龍賀一族の社長の娘、さよと、甥の時ちゃんに会う。
屋敷に通されるものの、前当主の遺言状では入婿の社長ではなく痴れ者と噂されていた長男が当主に任命される。そして次の日、長男が死ぬ。殺した下手人として、列車の中で出会った男が引っ立てられてくる。村の人々は「よそ者が犯人」と決めつけるが、水木は男をかばい、そのために男の監視役を言いつけられる。
この時点でスクリーンを見ている私は「何!?」と混乱する。村の人間に物申したい事がいっぱいある。よそ者を犯人にするのは閉鎖されたコミュニティの中ではよくあることというか、問題解決の手法の一つ、スケープゴートを出すことなので、いいんだけど、それなら監視役を水木にするな〜!!!ということである。一緒くたに片付けようとしてるのか?それならさっさと消せ〜!!!と思う。問題解決能力、ないんか!?縛るなら縛る、閉じ込めるなら閉じ込める、殺すなら殺す、さっさと行動しないと仕事にならんやろ!と思うのだ。が、一応閉じ込めて「後で消せばいい」と前当主の長女(社長の奥さん)・おとめと彼女に付き従う村長の長田は言う。それがあかんって!異分子はさっさと村から追い出したほうがいいよ!
しかし、ストーリーの進行上、2人が退場することは許されない。ので、2人はなんだか奇妙な連帯関係になって、水木はさよさんに言い寄られるわ、時ちゃんに日本の明るい未来について語るわ、ゲゲ郎と呼ばれた男が幽霊族で奥さん探してることを知るわ、湖の上にある島になんか秘密あるらしいことがわかってくる。
その間に、あと2人くらい龍賀一族の人間が死ぬ。みんな片目を突かれて死ぬし、どうも人間業ではないことがわかって、水木も妖怪の存在を教えられる。龍賀一族の栄華は「M」という強壮剤?によるものらしく、これがあれば企業戦士になって日本がより発展する、そのためには作り方を知らねばならないだろうという夢物語を帝国血液銀行は持っていたらしい。
そこでも私は「ん?」となる。映画は映画のストーリーがあるとは思うが、そもそも原作漫画では血液銀行から輸血した人が死者のようになってしまうところから、血液の供給元をたどり、幽霊族の夫婦に出会って縁ができる。幽霊族の夫婦は困窮しており、血液を売らねば明日もたちゆかない。逃げるように水木は夫婦と別れて数日後、夫婦が死んでいることを確認し、墓を作ってやり、そこから鬼太郎が生まれる。墓場から生まれた赤子は不吉だが殺すことはできず、引き取る。そして、幽霊族の驚異的な生命力か子を思う父のパワーか、目玉が落ちて目玉のおやじになるのである。
「M」について多くは語られないんだけど、731部隊やその後のミドリ十字を思い起こさせる。物語が進むにつれて、Mを精製するために人間の生贄がずっと捧げられていて、何十台と並べられたベッドの上で死者のようになってしまった成れの果てをゲゲ郎と水木は見る。
ここでおとめさんはとんでもない選民思想を披露する。しかしそれは「お父様」すなわち、彼女の父、前当主の龍賀時貞翁の考えである。幽霊族は彼が抱え込んだ裏鬼道とやらに狩られてMの元になっていて、翁以外、全て彼の思い描く絵図を実現させるシステムになっている。
この屍のようになった人たちの、死ぬまで過ごす場所で、一連の殺人はさよさんによるものだったことが発覚する。水木と東京へ駆け落ちするはずだったが、水木の義侠心で戻ることになり彼女は水木を助けるものの、そこで自身の境遇を明るみにされてしまう。
実の祖父に手篭めにされて、母親も父親も助けてくれず、祖父が死んだかと思えば叔父が襲いかかってくる、叔母には脅され、彼女は八方塞がりだった。怨霊(狂骨?)を使う才能があったのでそれで自分を守ったのだが、全部水木に知られるわ、その水木も別に彼女を真摯におもってくれていたわけでないことを改めて知って、絶望の中、恨みつらみでその場にいた人間を殺しまくる。なんか、ここで「楽しい!」てさよさんが思えたらよかったよな。でも彼女はこの一族の中でわりと「真っ当」な考え方の持ち主だったので、狂いきれずにこうなってしまったのがかなしいな、と…。
一族郎党わりと死んだのでここで終わりかと思いきや、穴の中に入って奥さん探し。幽霊族の血を吸って赤くなった桜の木がある中で時ちゃんが翁に乗っ取られてワーワー捲し立ててお前らには勝てないよ〜と嘲笑うのだが、幽霊族のご先祖様の霊毛が助けてくれたり水木が頑張って骸骨を叩き割ったりして、翁は鞠の中に封印され、村の中に放たれた怨霊もゲゲ郎が頑張ってなんとかして、水木は身重の鬼太郎のお母さんを抱えて村から脱出する。その時、水木の記憶から村での記憶…妖怪やゲゲ郎との記憶は失われているのだった。
で、現代に戻って、最後の怨霊を鬼太郎が鎮める。最後にいたのは時ちゃんで、70年もずーっとずーっと1人で彷徨っていた。迎えに来たのがさよさんの幽霊だった。時ちゃんの願いは「忘れないで」だった。それを受けて、記者が「僕が書き残します!」と言ってくれるのだが、私は当然そこで「お前か!!!」と思うのだった…。
もちろん、めちゃくちゃつまらなかったわけではないけど、面白いかというと、そうか…?と疑問が残る鑑賞だった。
唯一心が踊ったのは、ゲゲ郎が戦う時に髪の毛を伸ばした時で、私は父属性と長髪の呪いにかかってるので、あそこだけはすごい記憶に残っている。たまに伸びる長髪もいいよね。うしおととらの潮みたいな。
たぶん、私が素直に没頭できなかったのは作中で画面のノイズが多いと感じたからだと思う。とにかくいろんな要素が散りばめられていて物語に集中できなかった。
水木の視点がもう少し探偵のような作中で考察するものだったらストーリーの情報整理もキャラクターがすることによって、共感できたかもしれないんだけど、そういう誘導はなくて、こっちは「これって何?」と思いながら鑑賞しなければならない。私はそういう「これって何?」は物語の根幹に関わるものに絞ったほうがいいと思っていて、散りばめていたとしても鑑賞者をコントロールするような描写であってほしい。もちろん、この映画がマジックリアリズムとかナンセンスなものであれば謎をたくさんお出ししてくれたらいいんだけど、マジックリアリズム、伝奇というにはやや物足りないかなあ。
あの長田って男や孝三おじさんの存在はなんだったんだろう…て考えるのが面倒すぎる。
でも、最後にエンドロールで見たいと思っていた、原作の鬼太郎誕生のシーンが描かれていたのはよかった。この映画用にアレンジされてたけど…。あと、カエルの目玉をご馳走してくれるシーンも当然なかったけど…。
ちなみに、カエルの目玉というのは原作で水木が幽霊族夫婦の家にお呼ばれ(?)されたときに振る舞われた料理(?)で、2人はオケラを食べたりミミズを食べたり困窮しているところに、精一杯のもてなしをするのである。
目玉が落ちる前にミイラ男みたいになった鬼太郎のお父さんも好きなので、見れてよかったな。ありがとう、スタッフさん。
ところで、龍賀家で働いていたねずみ男、お前は300年生きていて妖怪ぶるぶると戦うまで風呂に入ってなかったのに、なんでそんな小綺麗になってんだよ!もっと汚く!昭和の汚さがあんまなかった。
鑑賞前に「総員、玉砕せよ!」の描写もあるというような情報をちらりと見た気がするのだけれど、この映画では南方の戦線のシーンが断片的に描写されるだけなので、原作を読んだほうがいいと思う。