完全に文脈依存なのはそうなのだけど、仕事でアメリカ企業にかれこれ8年くらいいると(職歴の半分!)、英語の表現をある程度丁寧にしないとな、という気持ちで書き物をすることが多い。特にSlackみたいなチャットの時に、時節の挨拶までは言わないにしろ、主語を物にしたりcouldやwouldを使いがちになる(これは自分が臆病だから安全に倒しておけと思っているのもある)。
これはひとえに、直接的な表現はまああまりしないという自分の観測した経験からそうしているのだが、人によっては回りくどいとか慇懃無礼だとか指摘されることもある。その一方で、pleaseを使えば丁寧だと思っている文章を見ると、その後の会話の噛み合わなさがもどかしく思うこともままある。聞いたところによると、西海岸テック系企業はカジュアルなやり取りをしがちというのはあるらしく(Dearとかまずもってメールの書き出しで使わない)、そういう書き方もできなければならないとは思っている。
あるとき、"Please create a GitHub issue if you face anything. I'm willing to help!" みたいな文章をStackOverflowの回答の末尾に書いたことがある。これは、有償環境でのみ起こる環境依存のバグを踏んでいる報告がSOに上がっていて、それの修正リリースを出したけど足りないこともあり得ると想定してお願いした。そしたら、"fluff"(取るに足らない蛇足)であるとこの一文をmoderatorに消されたのだ。
この後、別のmoderatorの伝手でMeta SOで議論になったのだが、SOにとって何の価値もない取るに足らない文は消されるべきである、というmoderatorによる主張がなされていた。この時は、何言ってるんだこいつ、と思ったのだけれど、そういえばソフトウェアエンジニアは冗長なやり取りを嫌う生き物だったな、と最近 nonello.com の名前を再び見て思い出したのである。
「異文化理解力」を読んで、国ごとの文化差を知ったつもりになっていたけれど、コミュニティ間の文化差も気にしないといけないなあ、と思いを馳せながら、そうは言っても人間なのでSOは捨ててGitHub discussionsの運用を開始したのであった。ちなみに、GitHub discussionsは sole maintainerの弱小OSSでもなんとかなるという話はまた機会があれば。