スノッブな俺

chibinan
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俺には気取ったインテリ気質なところがある。知識を持っていて、いろんな時事を自分の意見で逆張りしながら切れると思っている。それは単にものを考えるのが好きだからだ。角度をつけながら色々なことを考えるたびに少しの爽快感を感じる。でも、そんな人は周りにあまりいない。

本当に自分の身の回りとの温度差にびっくりする時がある。デジタルネイチャーとかそういうのって世間的にはまじでどうでもいいんだと思ってしまう。シンギュラリティが問題だなんて、この時代、もはや言っている場合ではないと思う。

自分ができることに対しての飽きと自分ができることに対しての飽くなき向上心が常に同居している。自分に飽きている。まともにアイロンをかけることもできずに遅刻しかける自分に飽きている。

周りを見渡せば、みんな最適化が上手い人たちばかりだ。空気やルールや答えに最適化する。それはシンプルに言えば努力だ。先輩の機嫌をとることも、後輩の心を掴むことも、場を盛り上げることも全部最適化だ。

でも俺は全部を台無しにしたい。急に大きな声を出してみたいと思ったり、言われていることと違うことをやりたくなってしまう。横浜アリーナで開催されたライブに行った時、席がステージの真横にあって、走って行けばステージに上がれる距離だった。その時、ステージに上がってライブをぶち壊す悪夢のような想像を何度もした。

場のルールや空気から逸脱して勝手なことをやっていたい。その気持ちをずっと抑えている。抑えているというよりもずっと揺れ動いている。

逸脱を個性にすることもできない。自分の逸脱さ加減をメタ意識の強さによって抑制している。俺という人間は側から見たら至極真面目そうな人間に見えていること自体が個人的にはとても意外だが、それはこのメタ意識のせいなんだろう。自分が逸脱していると強く意識しているからこそ、反動によって真面目を演じている。演じすぎて、ヒースレジャーのようになっている。Twitterに飛び込めば、そんな俺の性格はACだの繊細さんだのラベリングされる。この単純な論理構造とわかったような気になる安易さが嫌いだ。

いつの間にか磁場に飲み込まれている。自分のスノッブさと逸脱への欲望を最適化の磁場が吸収する。俺が求める知識と知的活動はこんなもののためじゃないと言いたい。俺は俺のために生きるし、それが誰かのためになればいい。