おむつを変える時、ミルクやおっぱいをあげる時、いつもふと考えるのは「昔はどーしてたんだ?」という疑問。
わたしはギリギリ昭和の63年生まれ。35年前だって育児の環境はかなり違ったと母は言う。
例えば、わたしが生まれた頃、紙おむつが普及しはじめたらしい。それまでは布おむつ。兄の時は、母はトイレの便器の中で布おむつを洗っていたとのこと。まじかよ!
飛ぶように消費されてく0歳児のおむつ!それを手洗いで賄ってただって?
アンビリーバボーだけど、それが当時の常識。保育士さんも布おむつ洗いが仕事のひとつだったとか。
今でもわずかに布おむつ派は存在してるけど、理由はもっとオーガニック的な、ナチュラル思考的な、サステナブル的な思考のはずで、もはや最先端。
わたしは今の育児タスクにおむつ洗いが加わるなんて全くできる気がしない、とつくづく現代の育児環境をありがたく思う。
わたしの父は驚きの昭和20年7月生まれ。なぜ驚きかと言うとわたしの住む広島で昭和20年8月は原爆が落ちた年だから。
第二次世界大戦禍、初めて地球に原子爆弾が投下されたほんの一ヶ月前に、ほんぎゃあほんぎゃあと産声をあげた父。うっかり死んでても全くおかしくない。そしてわたしもうっかり生まれ損なっててもおかしくない。
しかも、あんなに物がない時代に父は4人目の子として生まれている。おばあちゃん、なんでそんなに産もうと思ったのよ。今のわたしに教えてよ。
なぜあの時代に5人の子を産み、なぜわたしはこの時代に子どもは1人で十分と思うんだろう。女性の人生も多様化したってことか。
父が生まれた時代に、「おっぱいの出が悪くてさ〜」なんて女性同士の会話があったのか?粉ミルクもないし、おっぱいでなかったらどーしてたんだ?赤ちゃんにとって致死的な状況なのでは?
気になって母に聞くと、「おっぱいの出がいい近所の人のを飲ませてもらう」「ミルクの代わりに米を炊いた時の上澄み汁を飲ませる」と力強い回答。
生きていく術はいくらでもあるんだなァ。すごいよ昔の人、、、
そんな感じでわたしはたまに育児をしながら昭和の子育てに思いを馳せるのです。
(そんなことでぎゃあぎゃあ泣いてたら、ここが戦時中の防空壕だったら、、、殺されてるんだよ!)とかつい我が子に思ってしまう。
赤ちゃんの生態はいつの時代も変わらないけど、取り巻く環境はいくらでも変わる。
わたしは令和の子育てを経験していく。育児にどれが正しいとかない。時代や状況によるものだから、世代間で価値観を押し付けたりしたくないよね。